WANIGUMITOP  


 村嶋正浩



堀川正美論


 

 

 

詩人堀川正美の表情選ばれた人としての詩人の語る時代から、詩人であることが等身大のひとりの人間として語る時代へ

  

 

 久しぶりに堀川正美の詩集『太平洋』を開いて見たのだが、幾つかの作品の行に鉛筆で線が引かれている。

 作品「小湾にて」では、「もうどんな記憶をたどることなく/よこたわりたまえ/ここは古代から/太陽の直射に刺されて死んだ/おびただしい貝類の爪の破片が/あるばかりだ」の部分に線が引かれてある。

 これらの言葉に二十代初めに出会った私には、「荒地」の詩人たちとは異なって、新しい時代の生と死のにおいを嗅いだのである。それを希望という言葉に置き換えてもいいのだが、詩集『太平洋』に埋め尽くされた言葉がそのようなものとして、私の前に突如出現した。「荒地」の鮎川信夫や田村隆一の抱え込んでいた言葉のにおいとまったく別のものであった。

 堀川正美の詩の世界は、言葉で何かを示そうとしているのであって、鮎川信夫のように何かを語り伝えようとしているのではない。言葉そのものが提示されている、自分の身体が海岸の太陽に晒されているように置かれている、そのように見えたのである。

 「おびただしい貝類の爪の破片」が『小湾にて』の言葉の群の中に示され、それはそこにそれがあることが示されているだけで、何かの象徴としての意味が語られているわけではない。歴史的時間に晒されているはずのものが、意味なくただそこにあるだけのものとして、示されている。

 小湾における荒れ果てた世界でありながら、意味を剥奪されたものの世界、それまでの歴史の時間を剥がされた明るすぎるまでもの世界がある、そのように見えた。

 この詩集は昭和三十九年に刊行されているが、岩田宏の『グアンタナモ』、谷川俊太郎の『落首九十九』、富岡多恵子の『女友達』も同じ年のものである。

 次の年には、入沢康夫の『季節についての試論』、長田弘の『われら新鮮な旅人』、谷川俊太郎の『鳥羽』、白石かずこの『今晩は荒模様』が世に出ている。

 夥しい新鮮な言葉たちが満ち溢れていた時代で、われわれの生きている「荒地」を背負うことでの存在、選ばれた人としての詩人の語る時代から、詩人であることが等身大のひとりの人間として語る時代へと変貌していった。

 

 思潮社現代詩文庫『堀川正美詩集』(1970年刊)の裏表紙には簡単な履歴が書かれている。

 

 堀川正美・ほりかわまさみ

 1931年・東京西郊で生まれた。父は貧農出身の几帳面で勤勉で努力家 のエンジニア、母は江戸旗本の末、日本近代の興隆と没落が両親である。

 1944年・中学二年。勤労動員で日野重工に働く。

 1945年・終戦は空虚で不安な開放だった。米軍機が示威飛行する八月 の空の下、突然の夏休みが始まり今に続く。

 1952年・火焔壜闘争末期の早大(露文科)から逃亡。

 1964年・『太平洋』詩集1950−1962。

 

 ここで書かれていること、例えば敢えて父母について書かれている数行の事項は、具体的にはどのような意味をもつのかこれだけでは分からないのだが、私の興味の一点は出生の秘密のように書き、それ以後の自分の行動の意味づけのように示していることである。このように履歴を示し表現者としての在り様を意味づけて見せたことにある。

 ここから詩集『太平洋』の世界の出生の秘密を読み取ることも可能であり、他方、1931年生まれの者にとっては、親の時代を含めてありふれたものに過ぎない例示として書いてみせたにすぎないと、読むことも出来る。

 履歴の横には、猫を抱いた堀川正美の横顔が写された写真があるが、ありふれたスナップ写真である。彼はいったい何を見ていたのだろうか。そもそもこの写真の全体はどのようなものなのか、ソファーに坐っているようにも見えて、視線の先には人がいる写真なのかもしれない。例えば父母も含めての家族写真としてあったものを、堀川正美だけを切り取って載せたのかもしれない。

 谷川俊太郎は堀川正美と同じ年に生まれ、『谷川俊太郎詩集』(思潮社「現代詩文庫」)の谷川俊太郎の写真は首から上だけの顔だけである。続編、続続編と版を重ねていくのだが、次第に年老いていく顔が明確に写されていくだけの顔写真なのである。それは免許証の写真、敢えて言えば手配写真の様相を示している。

 この詩集シリーズの写真の多くは、期待された詩人の像に相応しい佇まいで思いに耽り、考え込み、世界の意味を問い続ける詩人、言わばこの世の「荒地」の意味に全責任を負う人間像になっている。

 彼らがそのように期待された自画像を、進んで望んだのかどうか分からなが、そのような像を受け入れて詩人としての在り様を自ら示すことで、それぞれの詩集は成立している。写真もまた作品を読む手掛かりとして、読者である私もその自画像を受け入れているのである。

 詩集『太平洋』の最初の頁には、机に両腕を乗せた堀川正美の上半身の堂々たる姿で、読者を見据える写真が載せられている。私にとって、この二枚の写真が唯一の彼の記憶する身体的印象である。

 写真の詩人像から判断すれば、鮎川信夫が詩人であるならば、谷川俊太郎は詩人ではない。同様な展開からすれば、堀川正美はその中間にいるのかもしれない。彼には鮎川信夫や田村隆一の世界がよく見えているが、恐らく谷川の世界は見えていなかったのではないかと思う。

 

 神と悪魔とを担うのが言葉であるとして、鮎川はその両方を言葉を力として詩の世界を展開した。言葉で意味を問い、「荒地」であることを示し続けた。

 谷川は言葉そのものを意味として示し、堀川は鮎川の言葉を否定したのである。

 堀川正美の言葉に対する誠実さは、鮎川信夫のものとは大きく異なっている。堀川に誠実さがあるとすれば、同じ意味では鮎川には基本的に欠けているものである。それは鮎川には言葉に社会性があるが、堀川にはないという意味ではない。二人はまったく異なった言葉のあり方で世界を構築しているのだ。

 詩集『太平洋』に見られる海のイメージは、希望に満ちたものである。「なぜ海か」(「詩的想像力」)との問いに、「古代の海は恐怖の象徴であったし、だからこそ近世になって、大航海時代の冒険ののち何百年もへて、ロマン主義の主題となったが、海が好きだと答えられるような詩的な感傷はない」と述べつつ、「十五年戦争と朝鮮戦争をへて青年になったわたしには、調和とか安定にほどとおいことが常態でもある、というのが一応の説明になるかも知れない」とする。

 

 

 

神の不在十五年戦争と朝鮮戦争をへて青年になったわたしには、調和とか安定にほどとおいことが常態でもある、というのが一応の説明になるかもしれない=堀川正美

  

 

 けれども海と空とが溶けあっているあたりはあまりにも青いので目をこらしても水平線などないそこへむかって発せられる歌唱まで青くなって見えなくなってしまうそのあたり緑が雲のようにどこへともなく流れていて

 

 この途切れもなく続くこの長い一節は、詩集『太平洋』の最初の作品「漂流する窓と難破」の最初の部分である。これは一気に読むようにと句読点なく書かれていて、混沌とした世界の始まりを示しているかのようである。

 世界大戦を終戦ではなく敗戦で終ることにより、初めて「世界」というものの片鱗に出合った違いない日本人は、鮎川信夫もその一人で、彼は「死んだ男」「アメリカ」を生み出したのだが、堀川の解釈によれば、神の存在しない「荒地」を見た。

 最初の「けれども」という言葉はさりげなく置かれているが、その前には当然書かれているはずのものがあり、それが省かれているのは、堀川を含む多くの人が言うまでもないこととしての何かに他ならなかった。世界大戦を経て生きてきた人々にとっての世界の在り方、踏み込んで言えば世界をつかさどる超越者である神の不在を、鮎川信夫が「荒地」で問いかけたことについてではなかったのか。

 「なぜ海か」という問いに答えて、「古代の海は恐怖の象徴であったし、だからこそ近代になって、大航海時代の冒険ののち何百年もへて、ロマン主義の主題ともなったが、海が好きだと答えられるような詩的な感傷はない。」と言い、続けて「十五年戦争と朝鮮戦争をへて青年になったわたしには、調和とか安定にほどとおいことが常態でもある、というのが一応の説明になるかもしれない。」と、自分の内なる「太平洋」に対する思いを説明している。

 鮎川信夫の見た世界である「荒地」を踏まえながら、その意味を問いかける形で『太平洋』は成立している。ここでは世界を構築しようとしつつ、同時に絶えず壊し続ける言葉に満ちている。それは詩人として、むしろ時代を担う言葉として優れて不幸なことであった。

 鮎川は「荒地」の世界を言葉で支配し続け、その言葉によって詩人鮎川は滅ぼされたと言えるが、堀川はより言葉に自覚的だった為に、滅亡と再生を同時進行させながら世界を作り続けることで、詩人堀川は生き続けた。いまでも生き続けていると言えるのだが、皮肉なことに、詩人鮎川は滅んだにも関わらず生きていると信じられている。

 世界の終わり、敢えて言えば「荒地」の始まりの象徴的な光景が「Mの死」なのだが、堀川にとっては特別に意味すのものではなく、単なる死のひとつに過ぎなかった。

 

 ブランディ・グラスがあっというまにぐらっとかたむいてたおれ

 こぼれたものはすみやかにひろがって

 たかが灰皿の底を

 ひたす

 おびただしい質量がつくった

 テーブルというものの、平面のうえ

           

 この「叫びと身ぶり」の短い作品から、彼の見た世界の様子を全て感じ取ろうとするのは無理なのかもしれない。世界の構造は無理としても、世界に対する手触りを見ることが出来る。「たかが灰皿」や「おびただしい質量がつくったテーブルというもの」に示されている手触りに、彼が眼にした世界の厚さや質量の硬質な部分が見える。

 『太平洋』という揺れ動くイメージにも関わらず、むしろだからこそ「硬質」な身体であろうとしたのかもしれない。「神」の存在しない世界は、テーブルではなく、おびただしい質量の「テーブルというもの」にあるのだ。

季節もまた存在しない世界であり、「冬」という言葉が使われていても、冬の寒さではなく、硬質な質量のもつ冷たさが示されているに過ぎない。全体的には「夏」の季節のもつ開放的な世界が示されているものの、暑さはなくて硬質な質量の持つうっとおしさである。それは戦後の開放感の中の重苦しさとして示されているのかもしれない。

 

 何を考える場合でも根底で神を忘れずに考えてゆくということが、「Xへの献辞」を検討しかつ発表したころの彼らの一致した態度であるが、それは、戦争から生きのびることはできたにしてもしかし彼らの魂の問題を何も解決出来ない日本文化にたいする、一回的な批判的立場を同時に含んでいるものだった。            「神なしの名誉―「荒地」について」

 

 戦争の悲惨の側に、自らの身を置くことしか出来なかった人々の姿に目を向けたとき、神というものの存在を抜きにして考えられなかったのではないかと、堀川は見たのである。鮎川の見た世界を通じて世界と向き合い、『太平洋』には堀川の見た「荒地」として見ることが出来る。

 

 死と冒険がまじりあって噴きこぼれるとき

 かたくなな出発と帰還のちいさな天秤はしずまる

                     「新鮮で苦しみのおおい日々」

 

 作品「新鮮で苦しみのおおい日々」はこのようにして終っているのたが、「新鮮」という言葉を発見した堀川にとっては、まさしく新鮮で苦しみの多い「荒地」の始まりだった。けれどこの作品の言葉の質には、同世代の谷川俊太郎の作品と同じものがあるのも当然である。

 

 

 

新鮮で苦しみのおおい日々言葉は生まれた瞬間から滅んでゆく生きものである。更に読者によってその意味は書き換えられて、その意味も日々変容していく。

 

 

  ネット上で「堀川正美」と入力して検索すると、「新鮮で苦しみのおおい日々」を朗読する女性のプログに出会い、ほとんど抑揚もなく呟くように読んでいるのを聞かされる。「新鮮で」がもたらす心の高揚もなく、「苦しみの」の持つ悲嘆にくれた心の揺れもなく、朗読するのではなくむしろ言葉を読むように語られて消えていく。

 誰かに積極的に関わり聞かせようとするのではなく、ただ言葉を読む、朗読するのではなくただ読むことでその行為が完成している。言葉を自分に言い聞かせている。

 パソコンの画面の向こうから聞かされているのだが、それは寄り添って聞かされているという感じではなく、言葉が聞こえてくるという関係にあるような思いにさせる。

 言葉は基本的には良くも悪くも力があり、誤解を恐れずに言えば暴力そのものである。朗読もその暴力の一種であり、朗読者の中にはそれに気付いていないひとが多いが、彼女はこのことを少しは分かっているのかもしれない。

 ここには「新鮮で苦しみのおおい日々」の生まれた時代から半世紀にも及ぶ時間が経過し、当然のことだが、この題名に込められた意味の受け止められ方は変貌している。

 言葉の意味は変貌する。言葉は生まれた瞬間から滅んでゆく生きものである。更に読者によってその意味は書き換えられて、その意味も日々変容していく。

 例えば芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」においても、現在の私たちは理解の外にいる。「古池」や「蛙」の芭蕉が生きていた当時の人々が抱いていた言葉の意味、「飛びこむ」ことに対する思い、「水」に対する感覚、そのひとつひとつをとってみても、まったく別の世界に現在の私たちは生きている。

 例えば「飛びこむ」の意味の世界には、ひとが走ってくる電車に飛び込む、競技の高飛込の飛び込むなど様々な現代社会が孕んだ意味の中で、芭蕉が当時考えていたその言葉の意味は偏り拡散しては生きて存在している。永遠にその存在の意味が不滅の言葉などなく、ひとが日々変貌していくように、言葉の意味も同様である。

 従って当然のことだが、詩集「太平洋」の作品に夥しい線を引いて呼んだ当時の私と、今の私とでは異なっているはずである。つまり鑑賞ということはこのようなことであり、だからこそ鑑賞の意味や意義がある。

 

 現代の若者にとって、例えば作品「新鮮で苦しみのおおい日々」を読む女性にとって「新鮮」とは何か、「苦しみ」とは何か、「おおい」とはどのような質量なのか、「日々」とはどのような広がりなのか、声を聞きながら思う。

 戦後の国家体制の中で新しい暮らしが走り出した時代の堀川にとっては、「新鮮」と「苦しみ」とは不可分なものとしてあったのではないか、つまり「新鮮」で「苦しみ」のおおいと書かれているそのままの意味だった。

 果たしてこの女性には、そのようなものとして捕らえているとは思えない。「新鮮」と「苦しみ」は並列に並べられて語られている、そのように聞こえるのである。

 

 堀川正美の第二詩集「枯れる瑠璃玉」では、主よと呼びかけて度々神への思いを述べる言葉が作品に見られる。

 更に言えば、新鮮だったこの世、つまり新たな国家を支えているのは神、同じ意味で悪魔なのか、それとも「無」なのか。それが執拗に作品の中で問いただされている。

 

 両腕を海中に入れて、わたしははじめて

 主よ。主よ。とわたしの魂は叫んだ。

 たすけてください。

 あなたがここにとどまられるなら 

 みんなのうちにもあなたはとどまる。

 あなたがわれわれであるなら

 われわれはプロレタリアートの伝統になる。

 それはあなたの御名によってはじめて特殊だ。

 それが判った。

 許してくださいこれからもあなたの愛で

 みんなの不幸と限界を許しつづけて・・・

「われら痛みによってなだめられる希望の子供」より

 

 おお主よあなたは

 生命の樹から突然変わった

 放射能の脊髄に沿って胸骨をきりひらくと

 沈黙はほとばしる

 そうか ならぱ海はあまねくあるがままにあってよい

 主は文明にすぎない では

 われわれがそのなかで息絶える

 宇宙の再発生の

 やさしいけいれん              「花火」より

 

 主よと呼びかける言葉だけが生気を帯びている。この世に住んでいる神、或は悪魔であるにしろ語りかけることにより、切実な存在で身近に触れ得るものとしてあり、それが彼の詩人としての唯一の存在理由だった。

 詩集『枯れる瑠璃玉』の世界は、「調和の痛みと試み」「夢は梵のまぼろし」の二つの副題によって分けられている。これは「新鮮」と「苦しみ」が綯い交ぜであった時代が終わったことを示している。つまり、新鮮で苦しみのおおい国家の終焉を迎え、ネット上で堀川正美の詩を朗読する若者達の時代へと大きく回転したのだ。それは当然言葉の変貌として、その日々に私達は生きているのである。

 

 

 

枯れる瑠璃玉ひっぱたきにやって来るのはもうひとりの私で、その私とは和解することが出来ない。私ともうひとりの私はバランスを保ちながら生きていくほかない。

 

 

  詩集『枯れる瑠璃玉』の作品が書かれたのは、谷川俊太郎の『鳥羽』『旅』、吉岡実の『静かな家』、鈴木志郎康の『罐製同棲又は陥穽への逃亡』、岩成達也の『レオナルドの船に関する断片的補足』など、豊かな様々な詩の方法が試みられた時期である。いま振り返って見て改めて思うのは、そこに書かれていたものは、家族の在り方についてではなかったのかと。

 作品「シーサイド・レストラン」の世界は、これらの詩人達のなかでは、谷川俊太郎の視線に近いものをもっている。二人の生まれたのは同じ昭和六年であるが、「新鮮で苦しみのおおい日々」として、家族という人間関係に対する視線が存在した。

 

 遠景の浜から人ひとり

 なにやら腰をあげてこちらへあるいてくるのがちいさくみえる

 (波打際を右に左にかけまわっているのは犬だろう)

 ナップザックをふりまわすようにしながらこちらへくる

 飽きあきする灰の青から次第にやってくる

 わかっているさ。

 あいつはたぶん

 ひっぱたきにくるのだ

 わたしをナップザックで。

 

 許すしかない・・・・・

 明きめくらな引潮

 たちぐらんでたかが傾くのにあんなにながくかかりそうな雲。

 軽蔑の界面。

 

 ごめんなさいわたしは今日きみの話をろくに聴いていない。

 ティー・カップにくちもつけず

 自分のことばかり話しつづけているきみ。

 胴をきつく抱きしめれば折れるにちがいないきみ。

 きみの幻影まで体臭ののように漂っているが

 たとえばルージュもまたきちんとひけない

 いつまでも

 長いキスには耐えなげなきみの若すぎるくちびる

 それすらもすでに倦怠である。

 レモンを

 絞るようにわたしを

 きみにたらしこむことは

 あるだろうか。

 いま自分から遠いわたしに

 遠くからそんな瞬間があいにやってくるのかな

 

 詩集『枯れる瑠璃玉』は、一九六三から一九七〇年までの作品が収録されている。個人的なことを言えば、私の二十代の時期に対応している。

 この作品のもたらすある種の懐かしさはどうしたことなのか。それはこの作品が書かれた時期から、遥かな時間が経過していることによる感じ方なのだろうか。

 作品は現在進行形でかかれているが、世界は閉じられていて、記憶を掘り起こすように書かれている。いま在るこの私は記憶の中の私と共にあり、この詩集の題名がいみじくも暗示している。

 ひっぱたきにやって来るのはもうひとりの私で、その私とは和解することが出来ない。私ともうひとりの私はバランスを保ちながら生きていくほかない。そのひとは必ずやってくることで、私の存在証明を保障されているのだ。

 この作品の懐かしさは、私にとって青春時代に読んだことによるものであるという現在の立ち位置の問題、更にはこの作品自体が抱えている構造の問題でもある。

 堀川はこの詩集は書かれた年代順に構成されていると述べている。最後の作品はいみじくも「歴程」である。

 

 七月きたれば

 ベッドサイドに

 一杯の 

 潮をくれ

 深かった原生林も

 やがてたちのくように

   ・・・中略・・・・

 すると八月

 タマゴタケのきのこ

 たちあがる第一日

歴程歴年

一○一発の雷は

なりやんで

とおざかる

わたしがめざめる

第一○○一回

  

 わたしがめざめる第一〇〇一回は、遠い未来のように示されながら、時間軸が一回転した昨日のようにも見える。  過去の思い出の日ではなく、懐かしい未来の思い出の中の日の目覚めのように見える。

 「太平洋」での「新鮮で苦しみのおおい日々」にあった堀川正美は、更にここでは鋭く「家族」についての思いに突き動かされているとしか思えない。「わたしがめざめる」時に、果たして家族はどのような存在なのかと。

 


 

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