『冬の薄日の怒りうどん』感想集  九十九菓子店の夫婦抄

 詩集『冬の薄日の怒りうどん』2007年 ワニ・プロダクション

 

冬の薄日の怒りうどん          


 目玉やん 丘を越えて 雨上がり  散歩 真冬のユリ もう一人のユリ  タイトルのクリックで作品にジャンプします。


 

 

 

ユリは飛んで倒れた 這いずって逃げるのを蹴飛ばされて転がった


もう一人のユリ


晴天の境内いっぱい鳩の声

ユリは目を輝かせて鳩を追う

ちょっと止まっておしめをずり上げて、また追いかける

鳩が一斉に飛び立つ、ユリは両手で頭を防ぐ

そのころ暗い所でもう一人のユリが

パパに殴られて両手で頭を防いでいたのだった

そのユリはままハハにいじめられていた

二歳から三歳の間の一年以上外に出してもらえず

家の中で夜昼まいにち怒鳴られ殴られていた

こんな小さな子にいじめられる理由はない

理由はいじめる方が作る

姉があり、姉は可愛がられていた

弟があり、弟は可愛がられていた

一家でお出掛けの時ユリだけ置いていかれたというから

おしめもろくに取り替えてもらえなかったのではないか

まいにち大声で泣いていたのか

平気だもん、という顔をしていたのか

顔を押し当てて泣くことのできるスカートはなかった

体を丸めて夢に掠れた声を上げていたのか

だけれども

それはパパがいないときだけだったと思いたい

パパが帰ってきたときは

水面から顔を上げて息するように

パパの傍で大声で泣きもできたと思いたい

そのユリにどんな知恵を働かせることができたろう

一度赤ん坊の弟に乗っかったら

ままハハばかりかジーチャンとバーチヤンにも怒鳴られ殴られた

ユリは飛んで倒れた

這いずって逃げるのを蹴飛ばされて転がった

ゴメンネ、ゴメンネと言うユリの声を聞いた近所の人がいたという

そのときパパがやっと帰って来たかも知れない

だがそのパパにジーチャンがユリを殴れと命令した

パパはユリを殴った

ユリは頭を抱えてもう息ができる時もところもない

ままハハ一家の暴力は更に増し

ユリは誰にも抱いてもらえず抱かれて泣くことも知らず

平気だもん、というに似た顔で倒れて死んだ

やせて、顔じゅうが腫れておしめが汚れたままで

内臓が破裂していたという

もっと生きればシンデレラのように

王子様が迎えにやってくると

夢見たかもしれないユリは

おしめも取れないうちに死んだ

晴天に鳩を追うことも知らず死んだ

ままハハ一家に聞きたいことは何もないが

パパよ

私は君がユリを殴ったその手の痛みが増していると思いたい

他人の私が泣くよりも激しく長く泣いていると思いたい

 

 

 

不思議屋敷は部屋の向こうが小さくて上ると思えば下りであり、四方の壁はみな曲がっていてまっすぐに歩けない


目玉やん


 ユりとタクミが帰った後、空き部屋の電話機に充電器をつな母。肯い光

がともる。静かになった家に目玉がまたついた。こわいから消してとタク

ミが言ったのだ。あれは電話やんかとユリが言う、あれをつけてないと電

話が使えなくなるんだよ。知ってるけど、だけどこわいやんかと彼は言う。

見たくないのに見えちゃうもん。夜中トイレにバーチヤンについてきても

らったと。暗い部屋の隅の一つ目玉の陰気な光。背を低く座ったなに者か

がこちらを向いた目の高さにある。な? お化けみたいやんか。だけど電

話やんか。電話やけどこわいやんか。それで私が消したのだ。オレおくび

ょうなのかなジーチャンと昼間彼は言った、うーん、ものを感じやすいん

とちやうかと私は言った、大きくなればなおるさ。なおっちゃうと言うべ

きだったろう、なおらない方がいいことだってある。

 目玉か。仏壇の上にかかっている写真二枚。真っ正面にタクミを見下ろ

しているおじいさんとおばあさん。こわくないかい? こわくない。だっ

てジーチャンのパパとママやんか。

 

 夢を見た。浴衣の裾から黒い足が一本ぬうと下りている。父だ。背を向

けてはしごのような階段につかまったまま、きょうだいたちはまだかと言

う。あいつらなんで来ないんだと私は思った、どこへ行っちまったんだ。

いまだ参上(と言って外を見ればキラキラ川の光、光が足に縞をつくる)

つかまつりませぬ。そこは人影まばらな遊園地である。不思議屋敷は部屋

の向こうが小さくて上ると思えば下りであり、四方の壁はみな曲がってい

てまっすぐに歩けない、階段を一つ上がろうとするとなんだか足がとどか

ない、光がまぶしくてだれか鏡でいたずらしているみたい。出しっぱなし

の父の足は一本足のカラカサのお化けのようである。父も私も落ちそうだ。

 

 いつか父は父の父、私が一度しか会ったことのない私の祖父があぶない

というので田舎に行って一週間して帰ってきた。私が父の措ち帰った写真、

生き残りのきょうだい八人が縁側に並んだ写真を見ていると、父がじいさ

んは死ぬ前大量のうんこをしたんだと、と言った。うんと弱った人が大量

のうんこをしたらじき死ぬんだそうだ。そんなことは私はすっかり忘れて

いた。お父さん足をひっこめないかと言うと、うなるようにうなずくが足

はひっこまない。

 

 私たちは階段の途中で止まっている。父は足を出したままである。目ヤ

ニのついた白髪のまつげをしばたたいて天井を見上げる。きょうだいたち

はまだか。そうか。じゃあもう行くか。もう行くかいお父さん、私が呼ぶ

と天井を見上げて足をひっこめていく。天井にだれかいるみたい。お父さ

ん、お父さん。だが父はふり向かずこんどは足を出してくる。お父さん、

お父さん。足が長く細く伸びてくる。天井にいるのはだれだ。お父さん、

お父さん、お父さん、お父さん。

 

 目が覚めると夜中だった。トイレに行こうと寝床を抜けると、不意にば

っぱという父の声を聞いた。ふところの匂いとたばこの匂いが鼻をかすめ

た。私を見下ろすおだやかな目があった。私は父のふところから手をのば

したのらしい、父は手にしたたばこを遠ざけてそう言ったのだ。父が見上

げていたのはなんだったかと思う。

 空き部屋を通ると目玉がついている。私が買った電話機のだがちょっと、

こわいというよりうろんである。ひょっと隠しマイクかカメラが仕掛けら

れているのではないか、そんな気がする。

 

注:「目玉やんか」の原作に行あきはありません。 

 

 

 

 

ジーチャンうるさいと言われて私は黙ったけれど 島を回る耳の奥で歌が回った


丘を越えて


夏の休暇の南の島の

プールの縁でタクミ五歳がにこにこと両手を上げた

パパに吊り上げられて一、二、三

反動つけて歓声あげて放り込まれる

つま先立ってやっと口が出る深さ

滅茶苦茶動いて縁にたどりついて上がって

またにこにことしずくに光る両手を上げてまたドボン

滅茶苦茶動いて上がってまたドボン

飛び込めないから放り込まれるのが面白い

泳げないから滅茶苦茶動くのが面白い

子供は気に入った遊びを何回でもくり返す

それで私に昔の歌が回りだした

島を回る車の中で

島が動かないから歌が回るというように

「♪丘を越えてエ行こよ

真澄の空はホンガラカに晴れて楽しい心

鳴るは胸の血潮よ、讃えよわが春を

いざ行けはるか希望のオ

丘を越えてエ行こよ」

歌の終わりがまた初めからの始まりで

「♪真澄の空はホンガラカに晴れて楽しい心、鳴るは胸の血潮よ讃えよわ

 が春を、いざ行けはるか希望のオ、丘を越えてエ行こよ」

早口でくり返せば言葉に意味などなくなるが

「♪真澄の空はホンガラカに晴れて楽しい心、鳴るは胸の血潮よ讃えよわ

が春を、いざ行けはるか希望のオ」

くり返すところをゆっくり歌ったら

思い出した、丘は希望なのだった

すっかり忘れていた

「♪丘を越えてエ行こよ」

 

ジーチャンうるさいと言われて私は黙ったけれど

島を回る耳の奥で歌が回った

潮が血のように引いていくマングローブの入江で

カニたちが右往左往していた

沼の中の一頭の老いた水牛がゆっくりと

口まで浮かんでわずかに歯を剥いた

それらの上でしつっこく歌は回った

夏は過ぎ冬が過ぎ呑も過ぎたが

雨の朝窓を開ければ

耳の奥でまた歌が回りだすことがある

歴史をくり返すようである

「♪はるか希望のオ

丘を越えてエ行こよ」

 

       * 「丘を越えて」一九三一年 曲古賀政男 詞島田芳文 歌藤山一郎

 

 

 

 

タクミはチビで色黒で体育会系で いつでもどこでもあのな、それでな、そうなんねん


雨上がり


ユリは色白で利発で背が高く

家で東京弁外で大阪弁と使い分ける

幼稚園の学芸会はいちばん隅ではっきり手を振り歌い

廊下をいちばん後から悠然と友達と話しながら歩いていった

タクミはチビで色黒で体育会系で

いつでもどこでもあのな、それでな、そうなんねん

入園式はいちばん前の真ん中で

神父さんに頭を抱えられて祝福を受けていたが

くるりこっちに振り向くとアッカンべーした

ユリもタクミも生まれた所が大阪だから大阪弁で

親たちは東京弁に大阪イントネーションが交じる

というわけで

土地の言葉社宅のつき合い世間の流れ

親たちは要領よく神経を使って合わせて

子どもたちは土地っ子だからのびのびだけど

合わせなかったら仲間はずれになるだろう

なんて心配もあったり

住めば都なんて言葉もあったり

歳月を私たちから遠い所で生きている

というわけだ

思えば六十年前私は田舎に疎開して

田舎の言葉に合わせるのに苦労して

敗戦後元いた町にやっと帰れて即座に忘れた

もうぜったい二度と疎開することはない

バス停に行く道でタクミに話しかければ

運ばれていく顔である

鼻の下を伸ばして白目を剥いてべーと舌を出す

そうやって幼稚園でおどけてモテてるのとママが言う

おいタクミ

ジーチャンにそんなことしなくていいよ

そんなことしなくてもジーチャンはタクミが好きだよ

するとコックンして嬉しそうな顔になる

坂道を下れば足首が沈みそう

草匂う雨上がり

バイバイまた来るよと手を振れば

バイバイとあたりに反響した

遠い声である

 

 水滴たち:godkun

 

ユリちやんかいって言ったらウフフ おばあちゃんだよって言ったらウフフ



ベビーカーから降ろされたユリは

よろこんでトコトコ一人

休みの日はめしも休み

夫婦でゴキブリホイホイに似た屋根の

ファミリーレストランに入る

亭主が窓の外へ眼を投げれば女房も外を向く

互いの顔を見るのもいや、というわけではないが

首を横にうーんと伸ばして体を振ってまでして

見ているのは外である

自転車をこいで過ぎる傘

走るライトが照らすバスの横腹

発車するバスの後部の窓に子供の顔が貼りついて

窓に貼りつく私たちの顔も

運ばれていく顔である

幼児の発達の検査というのがあるそうで

保健婦にユリは遅いと言われたそうで

しかしユリは

一人でスプーンを上手に使ってごはんを食べる

おしっこすれば自分でおしめを出して持ってくる

心配なんかいらないと私たちはさっき言い合った

そんなに小さなうちから人と比べられるのか!

テレビだって心配ないって言ってる!

すると女房が窓から眼を戻して

今日電話にユリが出たの、と言う

ユリちやんかいって言ったらウフフ

おばあちゃんだよって言ったらウフフ

笑って合間に息遣いして

また広場に遊びに行こうねと言ったら、ウフフ

行こうね、とまた言ったらまたウフフ

行こうね、ともう一回言ったら

イコウネ、だって

雨が烈しくなった

東京から大阪まで巾五百キロの滝

私たちの息子である父親の顔と

その妻である八カ月のおなかの母親の顔と

私たちの孫である二歳一カ月の女の子の顔と

おなかの中の子の顔も一緒に

大阪郊外の社宅の窓に貼りついている

ユリはアメフッタと言っている

自分専用の言葉で

笑って

 

 

 

私たちは痛さでつながった身よりなんだ


散歩


ベビーカーから降ろされたユリは

よろこんでトコトコ一人遊歩道を降りていく

母親と父親とその親夫婦と四人、ついていく

夕がたの草の丘、麓の白い家

でもユリの目の前にあるものは砂利だ

しゃがんで掌を伸ばして砂利にさわって

つかんで掌を広げて砂利を落として

すこし歩いて、またしゃがんで立って

そうやってだんだん遠くへ行くばかり

一緒に座っているときは

母親がトイレに立つだけで泣いて追いかけるくせに

「ユリちゃあん、おいでー」

呼んでも戻って来ない

ふと顔を上げて、側に私たちがいないと知れば

戻ってくるさと四人は見ている

ユリは砂利を握る

砂利、砂利、しめった冷たさ、固さ、重たさ

四人それぞれに夕焼けの砂利を握ったのを思い出している

麓の白い家が赤く染まる

「ユリちゃあん、おいでー」

でもユリは顔を上げない

あんなに離れて、もう私たちが見えないんじゃないか

さあ

声が聞こえるだろうか

さあ

私たちが側にいないと知るのは、いつだろう

さあ

母親は痛い思いをして生んだ子を見ていた

父親は妻が痛い思いをして生んだ子を見ていた

妻は痛い思いをして生んだ息子の子を見ていた

私はそれらを見ていた

ユリがしゃがんだ

そのとき私にトキンと鼓動がした

そのとき母親が駆け出した

続いて妻が駆け出した

父親は私と並んで見ていた

私たちは痛さでつながった身よりなんだ

母親がかがんでユリの手をとって泥かなにか払っている

妻が立って何か言っている

夕焼けはますます深く

母親はユリを横抱きに抱えて歩いてくる

抱えられたユリは気持ちよさそうに

一歳四カ月の時を揺れている

 

 

 

 一人の暖かいユリを感じている だからふるえない


真冬のユリ


朝早い広場のベンチで

薄い陽に背を丸めて

細かにふるえている人がいる

ふるえるというのは体が細かく振動して

中に熟を起こそうとしているのだそうだが

もともと起こせる熱はわずかだ

もっと熱を起こそうと体はもっと振動する

それはおなかがすいたなにか食べたいと思うのに似て

人がじっと黙っているようにしか見えない

それが寒いということだ

 

でもユリには関係ないことだ

ジーチャンとバーチャンは

パパとママにかこまれたお誕生間近のユリを見ると

笑わずにはいられない

するとユリはキャッキャと笑う

ユリを膝の上に抱き上げると

小さな足でピョンコピョンコはねる

するとジーチャンたちの心がピョンコピョンコはねる

それは振動でなくて共鳴というんだ

ジーチャンたちは自分一人で熱を起こさなくていい

ユリの体は暖かい

ジーチャンたちは寒いときを通り過ぎた

 

でもジーチャンたちはすこし背中が寒い

窓は陽のしずくでも明日は雪

向かいのマンションは半分空き部屋で

働きたくても働けない人が百人のうち五人いて

パパはお給料が減って仕事が増えていつもくたびれていて

ママは知らないうちにお乳に毒があったかどうか

ユリの体の中に毒がたまっているか心配で

ジーチャンはジが痛くて足が痛くて

バーチャンは膝に水がたまって痛くて

お金が足りなくてまい月貯金を下ろしているからだ

けれどもジーチャンたちは寒いときは通り過ぎた

 

なぜならジーチャンたちは

一人の暖かいユリを感じている

だからふるえない

近くにいて感じている、この通り笑って

遠くに行っても感じている

東京へ行ってもバンクーバーへ行っても

ホクトシチセイのあたりへ行っても感じている

ジーチャンたちのパパやママが

ジーチャンたちのことを感じていたように

ジーチャンたちはオマエを感じているよ、ユリ

 


 

 

 

 

 

 

 

 


甲田四郎(こうだしろう)1936年生

日本現代詩人会会員 詩誌「すてむ」同人

詩集

『朝の挨拶』1975 『午後の風景』1982 『時間まで、よいしょ』1986

『大手が来る』1989(第23回小熊秀雄賞) 『煙が目にしみる』1995

『甲田四郎詩集』1996

以下ワニ・プロダクション刊詩集

『九十九菓子店の夫婦』1992 『昔の男』1994

『陣場金次郎洋品店の夏』2001(第4回小野十三郎賞)

『くらやみ坂』2006 『冬の薄日の怒りうどん』2007

                                                                                                                  BookDesign:Sichi-Ri


『冬の薄日の怒りうどん』 A5 ソフトカバー 104ページ 収録詩篇29篇 2100円税込 ワニ・プロダクション

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