冬の薄日の怒りうどん抄  九十九菓子店の夫婦抄

 詩集『陣場金次郎洋品店の夏』2001年 第4回小野十三郎賞 ワニ・プロダクション                                    表紙絵 内田克巳

 

 

 

 

 

 

陣場金次郎洋品店の夏・抄                                                                                  

                                               

陣場金次郎洋品店の夏 その角を曲がって いいじゃないか 痛い休日 

 

真っ黒に焼けたアイロン 鬼志別 これヨーシ 今日はどこでも

 

 

 

 

  


 


陣場金次郎洋品店の夏


陣場金次郎洋品店の前を通ると

謹告 バンザイ閉店セール三十一日までとあった

バンザイバンザイバンザイと赤い短冊が

差し押さえの証紙のようにそこらじゅう貼ってあり、

金次郎二世店主が奥の商品の陰から

顔を半分出してこちらを見ていた、

試合中のプロ野球の監督のようだが

部下も客もいなくてかれ一人である、

親子二代六十五年のあいだやっていた店である、

何か買ってきたらと女房に言ったら

かの女はやだよと言う、

なんにもないんだよ欲しいものが。

セール最終日通ると客がいた、

今日は何でも買ってこいと命令したら、

傘を一本買ってきた。

 

赤い短冊の文句を我慢我慢我慢と変えて

我慢セールをしたらどうだったか

我慢の問題ではないがそう言ってみたい、

かれ金次郎二世は

孝行息子で勤勉な商人だった、

人に後ろ指さされるようなことはなに一つしていなかったと

そういう問題ではないがそう言ってみたい、

♪柴刈り縄ない草鞋を作り、親の手助け弟を世話し、

兄弟仲良く孝行尽くす、手本はにのみや、きんじろおおお

陣場金次郎洋品店のネズミ色のシャッターが降りた

そこに閉店ご挨拶のビラが貼ってなかった

ご挨拶というものは客に向かってするものだ、

その客がいなかった、どこにもだ

私の店はまだ閉めないまいにち天気を心配する、

今日は晴自分の頭の上だけ晴、

すると日差しにパラパラ雨が落ちてきた

狐の嫁入りだ

 

ギリギリ歯ぎしり金次郎は古い塑像のごとく

ぶくぶく深く沈んでいった

資本主義の海の底は金次郎でぎっしりだ、

たきぎを背負って本を開いている金次郎たち、

古い本を読み直しているのではないかと思う、

たぶんこういう出だしの本を

 (ヨーロッパに一頭の妖怪が徘徊している、

共産主義という妖怪である)

 


 


その角を曲がって


一人の少女が

もう一人の少女におめでとうと言って笑った

入試に失敗した少女が、合格した少女に

 

私たちはささいな挨拶に

さまざまな思いをこめるが

思いは必ずしも相手に伝わるとは限らない

ただ自分は

どのような事柄の後に、どのような挨拶が言えたかと思い

どのような事柄に囲まれて、どのような挨拶を言ったかと思う

紋切り型の挨拶がそのようにして記憶に残り

そのたび自分が、道の角を曲がると風景が変わる

その程度には変わってきただろうと思っている

 

少女たちは別れ

一人の少女は大きな建物に沿って歩きだした

一つの風景がこわれる

ものはいつもこわれたがっている

歩いていくうち不意に

どれもこれもゆがみだすかも知れない

少女の足はしだいに早くなる

眼のふちも、鼻の頭も耳たぶも赤くして

その角を曲がって

 

風景が変わる、私たちはそう思う

ほんの少し、とるに足りないほどだが

少女は体の先端をみな、研いだように見える

風景が研ぎ出される

少女は緊張して、そこへ踏み出すように見える

 

             8203バイトのM子へ

 


 


いいじゃないか


要らないものは捨てないと自分が潰される

要らないものは捨てようと夫婦で相談したら

亭主の死んだ父親の垢のついた鳥打ち帽

それがどこにもない

あたしが捨てたらしいと女房が言った

鳥打ち帽に潰されるってか

家がひっくりかえりそうな喧嘩のあげく

おれの親のものはおれが捨てると亭主は言った

よすがに残す鳥打ち帽ひとつ そう思っていたが

それはもうないんだ

民家園にはサムライの家や名主の家が移築されているが

三反百姓の家はない

時代の庶民はこのようにして消えるんだ

では捨てよう

端切れ一つもしまっておいた親の時代

時代の庶民は貰い手もなく買い手もない

浴衣 角帯 着物 袴

唯一戦災をくぐり抜けた子供用みたいなモーニング

みんなゴミに出す

いつかの年 長寿の色だと両親に買って来た紫色のふとんは

粗大ゴミに出す

見ろ仰天の星

きょうだいたちが泊まるためにとっておいたふとんは

一組半残して粗大ゴミに出す

もう大家族は戻らない

核家族に変わるということは

ふとんをうんと捨てるということなんだ

 

金を支払ってゴミに出す

このようにしていつかおれも捨ててくれ

「大地震が来たと思えばいいじゃないか」

「桜の頃民俗資料館で会おうよ」

亭主が振り向くと女房が廊下に黒く座っている

時代の庶民は薄い存在である、と思えば

薄焼きせんべいなんか食っている

 


 


痛い休日


昼過ぎ女房は逆立った髪で起きてきて

今日は一日ごろ寝すると言う

あたし死にたくないからね、今日は完全に休むからね

掃除も洗濯もご飯の支度も全部休むからね

あたしが死んじゃったらあんた困るでしょう

死んでみなければ判らないとごろ寝している亭主は言う

おれも今日は完全に休む

おれが死んだらオマエのほうがもっと困るでしょう

 

それで静かな休みの夕がた

腹の減った亭主は廊下で足の指を椅子の脚にぶっつけて坐りこんで

足を抱えて体をゆすって、痛いいと言った

見ると血だ、血が出たと言うと女房が出てきて

いちいち血なんかで騒がないでよ、あたしなんかと言いながら

トイレに入ってきゃあと言った

隅に異様に脚の長いクモが巣を張っている

きゃあと言ったのに女房は長いあいだ入っていて

完全な休みにも女の店を張っている

 

亭主のほうは痛くて縮まる

こんな少しの傷でこんなに痛くて、死ぬときはどうすると思って

死ぬまでにどの位痛い思いを

どの位の時間何回位しなくてはならないか

それでその間も食べていかなくてはならないし

死んだら死んだで後の者が食べていかなくてはならないし

それで痛みが薄らぐと暗くなった廊下の鏡の前を通り過ぎて

一瞬ぞっとするものを見た

クモ色の皮膚としわ、引っこんだ眼窩

「もう生きているようには見えないぜ」

 


 


真っ黒に焼けたアイロン


夜中女房がテレビで英会話の勉強を始めた

いまに一人で外国へ行くんだと言う

「別れる準備ですか」

だがいつの間にか止めてしまった

夜中亭主はめしに納豆をかけて食っている

女房はアイロンをかけている

昔大学へ行きたくて夜中参考書を開いていた

だがいつの間にか止めてしまってアイロンをかけていた

簿記の本を読みだしたがいつの間にかアイロンをかけていた

そのようにアイロンをかけている

一昨日も昨日もかけられなくて朝も昼も夕がたもできなくて

夜中真っ黒になつて真っ黒に焼けたアイロンをかけている

「あなたにとって大事なものは何ですか」

「アイロンだよっ」

原始女は太陽であった

アイロンに唾をつけてあちいと言った

その手をふり上げれば招き猫のようだ、真っ黒な

しわも影も蒸発したまっ白なシーツに

背中を曲げてアイロンをふり下ろし

ふり下ろしては真っ黒な手とアイロンをふり上げて

こい こい こい 亭主を招く

亭主の場所に座るとめしに納豆をかけて食べだした

亭主がアイロンをかけるのを見てへたくそと言った

 


 


鬼志別


夜女房は座敷中洗濯物を広げてたたむ

亭主のズボンもステテコもひざが出て湾曲していて

くせの悪いのが強情で直りやあしない

ばんばんと叩くと影のごとく背中を汗が伝い落ちる

女房はタオルを掴んで両手で胸を拭く

どこかでばたんと戸が閉じて

道路を猫がゆっくりと横切っていくのが見える

老いて毛が抜けて、骨と皮ばかりで、油断なく耳を回している

一生は楽しいものではなかった

そうだ、昼間銀婚おめでとうございますと

記念の写真を只で撮るという結婚式場の通知が来て

亭主は撮ってもらいに行こうと言ったが

女房は行きたくない、なにが記念だ、

この二十五年ずうっと我慢ばかりだったじゃないか

ステテコがまだある、たたんで叩く、このやろこのやろ

イテ、イテと男が下で体を反らしたり曲げたり、しやがれ

ズボンもまだある、このやろこのやろ

ポケットから出てきた紙屑の玉を窓の外へ放り投げると

亭主が息せききって駆けてきた

切符がなかったか切符

もう廃止になってしまった、

北海道の天北線鬼志別駅の入場券

おれたち二十五年目の旅行の記念の、さ

 


 


これヨーシ


夕がたは寒くなくいよう

重ね着をして、ガスを点けて

熱いうどんをいっぱい食べて

こたつにもぐって汗をかこう

昼間修理にきたガス屋は

愛想がよくて太っていて、しかし年を取っていて

帰るとき忘れ物がないかとどこか懸命な目で

これヨーシ、これヨーシ

箱の中、家のあちこち、いちいち指差称呼して

ガス探知機を忘れていった

冬の風景は鯨幕のようだ

たとえば着膨れたキタキツネが

飢えて樹木の根元を伝い歩く

その樹木はアルツハイマーの脳髄のように痩せている

私たちはそんな風景に向かうのだ

これヨーシ、これヨーシ

準備したものを挙げていくと

準備していないものが増えてきて

ウッと吐き気がした

いままでにこんなことはなかった

落ち着け落ち着けと自分に言いきかせて

今日いちにち何を食べたか考えた

これヨーシ、これヨーシ

変なものは何もない

では自分の中に変なものがある

目の前暗く立ち上がって手洗い場で入れ歯をはずすと

ゲッと吐き気

そうか 今日初めてはめた入れ歯

不安は氷解したのである

ではあるが以後

死ぬまでの年月私はこの異物とつき合うのである

吐き気か入れ歯、どちらかに慣れていくのである

入れ歯元年年の暮

私は忘れ物をしている

きっとしている

すると女房がいいじゃないかと言う

忘れ物なんかほっときな

そんなひまがあったら働きな

うちに来る人はよくものを忘れるよ

電気屋は電流検知器を忘れた、銀行屋はハンコ

女子高生はコンドーム先生は通信簿医者は聴診器

それだってなんとかやっているだろう?

 


 


今日はどこでも


駅に降りたら何でもいいからホームのいちばん前まで行くの

そこに階段があるからそれを上るの

上ったら何でもいいから右へ真直ぐどんどん行くの

そうすればいやでも改札口に突き当たるんだから

そこにあたしが待っているんだから

いいわねお姉ちゃんと妹は言ったのだ

しかし階段の脇を通って前へ行くとホームに人が少なくなった

「人の少ない所には何もない」と内心の声がささやいた

引き返してさっきの階段を上ったら右も左も突き当たりは壁である

また戻って思い切っていちばん前まで行ったら階段があるので上ったが

「人の少ない暗い通路に改札口はない」と内心の声がささやいた

急いで引き返してまたさっきの階段を駆け上がって右へ行って

見下ろすと別のホームである

またいちばん前へ駆け戻って階段を上って

何でもいいから右だと言われたのを思い出して右へ歩いて行くと

「何だ突き当たりに開いたドアは」と内心の声が言う

「倉庫じゃないか、改札口はさっきのホームの先にある」

くるりと振り向いて急いで引き返そうとすると

背後でお姉ちゃーんお姉ちゃーんと大声がして

妹が手を振っている、どこ行くんだよー、

さっきから何してるのよー、こっちだよー、こっちだよー、

 

それはずいぶん昔のことだ

朝女は老けて晴れた道を歩く

今日は真直ぐ天国へだって行けそうだと内心の声がする

昔と同じく何の根拠もないけれど

昔と違って自信なげな細い小さな声だけれど

こっちだよー、

もう引き戻そうとする声はない身は軽い 


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