冬の薄日の怒りうどん抄 

 詩集『九十九菓子店の夫婦』1992年 ワニ・プロダクション

 

九十九菓子店の夫婦          


 タイトルのクリックで作品にジャンプします。入れ歯と眼鏡 帰郷 いなりずし エメラルド 黄金の日々  約束 十九菓子店の夫婦


 


おれは五所川原だぞ、五所川原といえば日本中知らない者はないぞ、こんなとこ東京を離れたら誰も知らねえや。


入れ歯と眼鏡


景気のよしあしが機嫌のよしあし

雨降る夜酔っ払った小男が店先で旦那ようと言う、機嫌よく

池袋はどう行ったらいいんだい

 

ちょっと待って下さい、いまお客さんですから

ここを行けばいいんかい

そうですよ、まっすぐ行ってガードを右に折れれば駅ですから

 

池袋の駅かい

そこから電車に乗って池袋へ行くんですよ

地下鉄かい

 

地下鉄じゃありませんよ、普通の電車ですよ

地下鉄の池袋だよう、どう行けばいいんだよ

ちょっと待って下さい、こちらのお客さんが先ですから

 

いいじゃねえかちょっと言えば、よう、どう行けばいいんだよ、よう、悪いねえ姐ちゃん、おれ酔っ払って、地下鉄の池袋どう行くのか教えてくれないかい

ちょっとあのね、品川で山手線の外回りに乗り換えて行くんですよ

おれは歩いて行くんだよう、道を教えてくれよう

 

ちょっと待って下さいって言っているでしょう、いまお客さんですから

いいじゃねえか手を貸してくれって言うんじゃねえ、口だけ動かせばいいんだ、けちけちするなって、なあ姐ちゃん

―――――――! 

なんだよう、怖い顔をするなよう、道を聞いただけじゃないかよう

お客さんが気味悪がって行っちゃったじゃないかっ

気味悪いだとオ、客に向かって気味悪いとは何だ、この

 

うるせえ、道聞くだけで客面するな、せっかく釆たお客さんを追っ払ってしまいやがって、道なんか教えてやらねえからさっさと行っちまえ

この糞やろう、場末のそのまた場末の、薄汚い店のくせに東京面しやがって、道を聞くだけだって客なんだぞ、そんな商売の仕方も知らないから客に逃げられるんだ、ざまあみろ

このろくでなしめ、どこの馬の骨だか知らないが、おおかたボートですって電車賃まで飲んじゃったんだろう、自分の頭の蝿を追いやがれ、池袋まで雨にびしょびしょ濡れて歩け、ざまあみろ

 

馬の骨とは何だ、おれは五所川原だぞ、五所川原といえば日本中知らない者はないぞ、こんなとこ東京を離れたら誰も知らねえや、だいいちおれの家なんかな、五所川原じゃ小さいほうだがこんなぽろ家よりうんとでかいや、店だって五所川原の店はもっとでかくて立派だい、判ったか貧乏人

貧乏人はお前だろうが、ああそうかお前五所川原か、出稼ぎとりんごしかできねえ田舎じゃないか、田舎っぺえ、お前なんか田舎へ帰れ、食えない田舎ででっかい家に住んで腹減らしていろお前なんかな、帰る田舎もないんだろう、この店今にも潰れそうじゃねえか、潰れたら行き所があるか、さっさと潰れて首くくれ、ざまあみろ

 

お前なんか帰る銭もないんだろう、文無しは文無しらしくそこらの公園で野垂死にしろ、ざまあみろ

何をこの、小男は道路を見回すが石ひとつ落ちていない、金ならあるぞ見ろこの

口に手を突っ込んだかと思うと総入れ歯を掴んで振り上げた、五〇万だぞかっ食らわしてやるか

 

武器がない時は石、石がなければ歯、歯がなければ入れ歯だって武器になる、手に掴めるぶん歯よりも強いのだ

亭主のほうは飛び出して行って眼鏡をはずした、はずしてみたが眼鏡は全然武器にならない、仕方がないからわうと吠えたら

小男は飛びのいて、なおも二、三歩退いて

 

ばかやろう、かなしく吠えた

吠えたはずみに入れ歯が落ちて、道路端の水たまりに飛びこんで

ああ? 小男は拾い上げたが、水たまりの水でゆすぐとかばっと口にはめてしまって

 

ばかやろう、もう一度吠えた

 

 


五所川原は津軽だぞ。はい。りんごだぞ。はい。りんごと、りんごだぞ。


帰郷


 年の瀬の夕がた場末にオケラの群が侵入してくる。薄汚れて競艇場から駅まで歩いて何も買わないが一人店先に立ったから客だろう、女房がいらっしゃいませと寄って行けばじっと見据えて、おまえは田園調布かと言う。は? おれは田園調布はきらいだ。は?気味が悪いので後ずさりすると、おいこっちへ来い買うんだから。

おれは客だぞ。はい、いらっしゃいませ何を差し上げますか。これくれこれ一〇こ。こっちも一〇こ。こいつも一〇こだ。はいと素早く包んで出せば、金はないぞ。急いで品物を引っ込めてレジを背に立っていれば、おいこっちへ来い。来いよォ、心配するなこっちへ来い金はある。うつむいてポケットを探りながら首を振って、おれが悪かったんだよな、ああおれが悪かったとさも慙愧に耐えないといったふうに呟いているのだ、汚い鍵やら鼠色の紙片やら一円玉五円玉一〇円玉を一つ一つケースの上に乗せて、それからびっくりする位分厚い一万円札の束を掴み出すと顔を上げて、だめだこれ箱に入れ直せ。箱代は払うぞ。土産だからきれいにしなくちゃいかん。商売はきれいにしなくちゃだめだぞって旦那に言っとけ。黙って品物を仕上げて渡せば一万円札を一枚抜いてひらひらさせて、おれは五所川原だぞ、おまえ知っているだろうと言う。いいえお客さんは存じませんけど前にいらしたんですか。おれのくにだからいらしたに決まってらばかやろう。ああそうですか。違うよォ、五所川原、知っているだろう。名前は存じておりますけど。五所川原はいい所だぞ。ああそうですか。おれは五所川原からいらしたんだからおまえだって五所川原にいらせばいいんだ。ああそうですか。行け。はい。五所川原は津軽だぞ。はい。りんごだぞ。はい。りんごと、りんごだぞ。はい、はい。りんごと、りんごと、りんごだ。はい、はい、はい。おまえりんご好きか。はいと言うとやっと札を渡して、りんご食えよおまえりんご、田園調布なんかくそくらえだ。返事をしないで有難うございましたと大声を出せば大声で、頑張れよおまえ。おい頑張れよ。黙って無理矢理笑顔を作っていれば、頑張れよなっ、なっ、なっ、返事をするまで言う。うん、旦那は丈夫か、旦那によろしくな、口に手を突っ込むと総入れ歯を掴み出して女房の目の前に突き出して、五〇万円だぞ、そう言ってくれと菓子包みをぶら下げて立ち去った。

 また来ると思うときはもう来ない、そのほうが多い。

 

 


いなりずしをさ、あっちは食ってこっちは売って

年は両方でくって頑張るわけだわねみのちゃん


いなりずし


吹き降りの日奥さんは頑張るねえ年くっても

頑張っていると美人だよ年くってもと客が言う

いなりずしを三こくださいと一八〇円小銭を出して

 

おうまた吹きつのる人生の雨かぜ

私はこれ家に帰って一人で食べるの

年くっていなりずし食って人生頑張りますと言って出ていった

 

いなりずしをさ、あっちは食ってこっちは売って

年は両方でくって頑張るわけだわねみのちゃん

そうだねえ人生の雨かぜが吹きこむねえしのちゃん

 

それで女房は濡れた椅子を抱えて歩いたが

足がもつれてのめって倒れて椅子の脚にしたたか口元をぶっつけて

ぽろぽろ涙をこぼしながら氷で冷したが上唇が鼻より高くとんがって

 

サロンパスを貼ろうサロンパス、二人で家中探したが見つからない

仕方なく合羽を着こんで自転車をこいで医者に行ったら

医者はいくら年を取っても顔にサロンパスは貼れませんと言った

 

薬を飲んで氷で冷しなさい、そうして金具でこつこつ歯を叩いて

ここ痛いですかと言うのだ、痛いわけがない入れ歯だもの

でも痛いですと言った

 

痛くておかしくて待合室の鏡をじっと見た、鏡は暗くて古くて

映る姿にもしみがあり曇りがある、隅が剥げて口がとんがって

いかにもいなりずしで人生頑張る姿じゃないのさ

 

亭主は店先で待っていて合羽姿の女房を見るとなにこれ、と言った

ピンクの洗濯ばさみが二本、頭に耳を立てている

これ? 風にあおられるから合羽と髪を挟んだの

 

いい工夫でしょみのちゃん

はあ、いい工夫だねしのちゃん

夫婦に笑いがこみあげてきた

 

 


エメラルドもなくてさんざん働いてきてこの先も働いて

婆さんになる前にエメラルドが欲しいと言ってもいいじゃない


エメラルド


九十九菓子店の女房は夜中風呂から上がって

エメラルドが欲しいと低い声で言い出した

私エメラルドが欲しい、ねえみのちゃん私エメラルドが欲しい

 

何をするでもなく亭主のふとんを踏んづけて歩くのだ

祖父が目を覚ましてアイスクリームが食べたいと言い出した

だが昔真冬の田舎ではどこを探してもアイスクリームはない

 

まもなく死んだ

だがいま寝ているのは亭主で、亭主を踏んづけて女房が言うのだ

私がエメラルドが欲しいって言ったらおかしい?

 

亭主は急いで首を振る

しのちゃんは風呂場でとつぜん考えたのだと思う

気がついてみたら私はもうじき婆さんだ

 

エメラルドを一度もしないで婆さんになっちゃう

エメラルドもなくてさんざん働いてきてこの先も働いて

婆さんになる前にエメラルドが欲しいと言ってもいいじゃない

 

女房はふとんに座ってためいきをひとつして

エメラルドが欲しいとまた言う

でも配慮があるので

 

家財道具を売り払うとか貯金全部下ろすとかはしない

エメラルドが欲しいと言うだけだとそう思う

そしてその通れノ

 

エメラルドが欲しいと低い声で言っている

冬の間じゅう

寝ている亭主の頭の上で毎晩

 

 


黄金の日々


夏亭主が入院したら秋女房は目が飛び出して

一週間のあいだためつすかしつ鏡を見て汗が出て

夢を見ているのではない物もよく見えない

 

病院に行ったら輪切りのレントゲンをされて大学病院を紹介するからすぐ行きなさいと言われて

大学病院で脳外科に回されて入院だと言われて、脳外科は坊主頭にされるのだ

名残の夜を惜しんで電車に乗って行ってしまった

 

亭主は一人店に残されて

女房が大量に作り置きして行った飯を食べて早寝早起きトイレは店を開ける前に行く

昔住み込み店員がいなくなってもなんとかやれた

 

職人が辞めてもなんとかやれた家族が減っても何とかやれた

アルバイトが来なくなっても夫婦二人でなんとかやれた

一人でもなんとかやれる、やれるだろう、やれるかも知れない

 

「黄金の日々」は終わってしまったのかと思うのだ糞も黄金だが

しのちゃんはある日この店に来てある日いなくなる

雪女もおつうも葛の葉もしのちゃんも男を残していなくなる

 

子供は遠い

遠いけれど帰って来るかも知れないから十年位は店をやっていないとなあ

続くかなあ

 

三日目にトイレにいるとき赤外線客探知機がピンポンと鳴るから小便を途中で止めて

駆け出そうとすると店頭で女房が客の相手をしていた

髪が長くて幻でなくて

 

あらいたのみのちゃん、検査の間が空いて外泊許可が出たのよ

そして飯を作って夜を惜しんで戻って行った

と思ったら三日後にまた釆て飯を作って行った

 

三日ごとに来て、六回目に荷物を持って帰って来て

ガンでないんだって、さ

なぜ目が出たのかよく判らないので十年位薬を飲めばなんとかなるだろうというので

 

「黄金の日々」は終わりでなかったよかったなあよかったなあ糞でもいいや

たとえばトイレの戸を叩くと中にいる本物の声がするのだ

組合の役員が見舞金を持って来た

 

「断腸の思い」をすると本当に腸がちぎれることがあるそうだから

奥さん、旦那が入院してびっくりして本当に目が出たんだよ

奥さんの目は愛の証だよ、十年位旦那に見せていな

 

いやあねえ、みのちゃんは目が出ないじゃないと女房は言わない

ただ透き通るように薄い手をひらひらさせる

 

  



九十九菓子店は前は甘味喫茶もやっていた

テーブルが五つあって、若い亭主が夏は手拭を首に巻いて

水かき機でがりがりと氷イチゴをかいていた

 

青春の思い出だ

やめるまでにはいろいろやった

大盛しるこ、フルーツクリームみつまめ、メロンフラッペ、クリームソーダ、レモンスカッシュ、チョコレートパフェ、ラーメン、五目そば、鍋焼きうどん、カレーライス、豚汁定食、焼肉定食までやって、やめた

 

やめたことはやめたが、店の造作はそのままで

また使うかも知れないのでテーブルも椅子も全部残したが

七年目に二つテーブルを取り払い、三つは残して

 

風呂のような水槽を作って鯉を飼いだした

夫婦でよく相談した上でのことだ

夜店頭の菓子ケースを回って奥に入れば

 

燈篭型の機械が落とす水とあぶくが呟いていて

亭主はしゃがんでじっと股ぐらをのぞいている

股ぐらの暗い水のなかを大小の鯉が何匹も回っている

 

こないだあやちゃんが死んじゃってね

それからは夜中も見に下りて来るんだ、と亭主は言う

この斑がかよちゃん、あれがゆみちゃん、まりちゃんでしょ、じゅんこちゃんでしょ、ほたるちゃん、みつこちゃん、えいこちゃん、かつこちゃん、はるえちゃん

あたしの名前もあるの、この大きいのしのちゃんだって、ばかね

笑う女房の顔に女名前の彩りが映って揺れる

 

夜中亭主はふとんから抜けて釆て

股ぐらをのぞいて

かよちゃん、なんて呼ぶのだ

 

女房も女房用の名前をつけている、そう思う

かずおちゃん、ひろしちゃん、さぶろうちゃん、ひでおちゃん、じゅんちゃん、なおきちゃ

 ん、しげおちゃん、きんやちゃん、けんじちゃん、

それに大きいのがみのちゃん

 

夜中ゆかたの前をたくし上げて

名残の椅子に腰かけて、名残のテーブルに肘ついて

かずおちゃん、なんて呼んでいる 

 

 

 


約束


九十九菓子店の亭主は照れるということがない

心から愛しているんだなと人が微笑すれば

うん心から愛しているよとにこにこする

 

来世も一緒になりたいって女房は言うよ

だけどおれ今生は女房で、来世は別のがいるから駄目なんだ

昔別れた人と、今生で一緒になれないから来世で一緒になろうって約束したんだ

 

それ奥さんは知っているの

知っているよ、一所懸命うんと愛するけど今生だけだよって、そう言って結婚したんだから

それでも来生は一緒になりたいって言うの

 

言うの。だから悪いけどそれは駄目だよって言うの

ばかだなあ、奥さん可哀そうじゃないか、来世もー緒って口で言うだけのことだろう、いく

 らだって言えばいいだろう

いいんだよと亭主は動じない、今生は今生来世は来世

 

仲がよくて歯ブラシが共有できたとしても

入れ歯を共有するわけにはいかないだろう

言うことがよく判らないがにこにこするのが凄いようで

 

愛しあっていると来世が要るんだ、わははだと

どっちにしろもうじき判る

奥さん、来世も一緒になりたいって言ったんだって?

 

そうなの、みのちゃんたら来世もあたしと一緒になりたいって言うのよ

でもあたし来世は約束があるから駄目なのよ

 

 


亭主が三千円握って競艇に行って三千円すって帰ってくれば

いいのよみのちゃん、たった一つの楽しみだものまた来月があるわ

来月はあたしが行くからあんた店番していな、とは言わない


九十九菓子店の夫婦


信じられないことだが

五十にもなった亭主がしのちゃんと女房を呼んで、女房がなあにみのちゃんと答える

 

昼からちょっとボートに行ってきていいかい

いいわよ、行ってらっしゃい

そんなひまがあるならよその店を偵察してきたらどうだこの甲斐性なし、とは言わない

亭主が三千円握って競艇に行って三千円すって帰ってくれば

いいのよみのちゃん、たった一つの楽しみだものまた来月があるわ

来月はあたしが行くからあんた店番していな、とは言わない

店の電気はあまり明るくはないのだが

そんなに電気代をかけることもないよねしのちゃん、うちは味で勝負なんだから

そうよ、お客さんだってお宅のはおいしいおいしいって言うわよ

 

それにしてははやらないのはなぜだ、とは言わない

小さい店はどこでもこんなものさ、食うに困る程でもないし

そうよね、体も大変だし食べて行かれればいいのよみのちゃん

 

何の楽しみもないや、とは言わない

だけど商売って忙しくていやあねえぇ、みのちゃん

そうだねえ忙しくていやだねえ、しのちゃん

 

そうかと思えば夏は暑くて、ひまだねえしのちゃん困ったねえ

ひまねえみのちゃん困ったわねえ

もうやめた別れよう、とは言わない

 

もうじきよ、こんな日はいつまでも続かないわよみのちゃん

じきに店が潰れる、でなければどちらかが動けなくなる、でなければ死ぬという意味ではなく

ひっそりと暗くなる

 

もう閉めて寝ちゃおうか、しのちゃん

もう閉めて寝ちゃいましょ、みのちゃん

それで毎晩二人で寝てしまう

 

続けて七晩も、だって


 


 

 

 

 

 

 

 

 


甲田四郎(こうだしろう)1936年生

日本現代詩人会会員 詩誌「すてむ」同人

詩集

『朝の挨拶』1975 『午後の風景』1982 『時間まで、よいしょ』1986

『大手が来る』1989(第23回小熊秀雄賞) 『煙が目にしみる』1995

『甲田四郎詩集』1996

以下ワニ・プロダクション刊詩集

『九十九菓子店の夫婦』1992 『昔の男』1994

『陣場金次郎洋品店の夏』2001(第4回小野十三郎賞)

『くらやみ坂』2006 『冬の薄日の怒りうどん』2007

                                                                                                                  BookDesign:Sichi-Ri


『冬の薄日の怒りうどん』 A5 ソフトカバー 104ページ 収録詩篇29篇 2100円税込 ワニ・プロダクション