ひとと称する最悪な事故 わたしは見ていたのでしょうか、見ること見ないことの選択すら ままにならないときに、それは風景じたいが盲目であり強制的であ りしたのですが、わたしにはただ拡がりも奥行きも漠然とした《白 っぽいもの》でしかありませんでした。 風景の側からすれば、わたしの存在は、拡がりの中のひとつの突 堤、奥行きの、とある暗渠、あるいはそれらしきものの影でありえ たでしょうか。距離をもつ契機として、風景から凝視されはじめて いたでしょうか。 視力は、白っぽいものの涯から、《白っぽいもの》と表現しうる そのことのように、あの突堤を越え、暗渠をくぐってやってきたの でしょうか。 それは、《白っぽいもの》でありつづけました。視力から記憶へ と焼きつくまでには、およそ数十日を要したのでしょうが、その日 日に、わたしの周囲の人びとは、顔つきからそぶり、はては声まで も変ってしまったらしいのを、わたしは一種の音楽的雰囲気として 記憶しています。このことを映像のうちにもちこたえているために は、わたしは少なくとも歩けるほどに成長していなければならなか ったでしょう。あれらの人びとの転落にしたところで、歩行なしに はありえなかったのですから。 それにしても、あれらの人びとが、なお人間のからだつきをして いたというのが、わたしには奇怪でおそろしいのです。もちろん、 わたし自身は自らの形についてまだ知る由もありませんが。 さけび声は聞きませんでした。あの音楽的なものにかき消された のか、それがあまりに瞬時のことで、声を出す遑もなかったのか、 わたしにはわかりません。 ながいあいだ、雪の白さを記憶しているのだと思い込んでいまし た。そこへ朝日か夕日かがさしこんで、わたしはまともに光を浴び、 顔のなかがすっかりまっ赤に染まって……。 でも、それは障子の白さであり、母の血しぶきが飛んだのでした。