標識《妻殺し》
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 標識《妻殺し》



 標識《妻殺し》は、その貪食性によって肥満し、自らの醜怪な容
貌を羞じて行方をくらませた。
 いまや《妻殺し》は手足の区別さえつかぬ、ものいわぬいくつか
の眼をその肉体に嵌めこんでいるばかりである。彼女の棲みついた
山脈ぜんたいが、われらの地図に死臭を染みわたらせる。
 それでもなお、妻を殺害する気になるだろうか、それがわれらの
唯一の愉しみにしても。
 標識《妻殺し》を見失ったのではなく、いままさにわれらが標識
《妻殺し》を実践しているのだ。
 ところがわれらは、われらが真相であること、われらが標識《妻
殺し》として林立し、遭難していることを信じていない。
 つねに逆上している標識のなかでも、とりわけ《妻殺し》は、拡
がりや奥行きを失神させ、あの光景の母胎をえぐりとった。そして
その母胎では、正気な標識《妻殺し》が無数に捏造され、市場に出
回りはじめている。われらは容易にしかも正当にその道を歩むこと
ができる。
 標識《妻殺し》はたしかに存在した、何もかもを見過ごすわれら
の眼がそれを見た。
 不倫の汗、頭蓋が砕けるにぶい音、ほとばしる血の匂い、それら
もたしかにわれらを狂喜させた。だが、ついにわれらはその現場に
到達することがない。
 さて、われらはなぜ、いまにも朽ちて落ちそうな小枝を相手に、
こうも勢いよく鉈をふりかぶらずにはいられないのか。そらはリス
のように快晴へと捗り、その青さは鉈の上にとどまる。鉈は鉈、怒
りは怒り。その二つの〈もの〉の印象半径にたちあらわれた《妻殺
し》は、あかく熟れたからすうりのごときものであったか。