ぶどうは、その球体の水の底に、音色と怒りとを記憶し、いずれ、黒ぶどうの黒として発色する。

黒ぶどうの黒





脂の抜けた生ま肉が暑い陽ざしの棒につらぬかれてつっ立っている、
というふうに見えるだろうか、おれは、水辺に広がるぶどう棚をな
がめた。
沼は鈍色に静まり、こしらえものの鈍色のうねりは、沼のほとりの
ビニールハウスの屋根。直立するおれは、うねりに押し倒されまい
として、前のめりになる。

通りすがりの生ま肉などに覗かせるためではなく、ただ風をとおす
ためにビニールのすそはたくし上げられ、細い鉄の骨組を這う枝と、
風にも動かぬ葉のあいだにぶらさがるみどりの房は、嬰児か、きの
うの自殺者か(六十歳を目前にした弟のような)。

北にはるかな霊峰はそらの青に染まり、いまや、ただ、そらの垢。
シミの浮き出た老廃の邦で、町村合併して軽薄な市名を名乗る。

セミも鳴かない夏。つる性の枝は、死者たちを漁って飽きることの
ない細い腕だが、ときに行き場をうしない、風に立ち泳ぎ。
沼のカラフルなサーフボードの帆も立ち泳ぎ、沼から突き出したツ
ノのように。もちろん、この沼の底の泥にも鬼は棲んでいる。

時もまたツノを生やし、咆哮、ぶどうの成熟を急き立て、平野を静
かに統べている沼の水をいらだたせる。
われらの地のぶどうは、あの忌まわしい咆哮を子守歌にして育って
いるのであり、ぶどうは、その球体の水の底に、音色と怒りとを記
憶し、いずれ、黒ぶどうの黒として発色する。ひとつぶ口にふくめ
ば、ひとこえ咆えたくなるのもそのせい。

黒ぶどうの黒が、やがて正体をあらわすと、細い血管を稲妻のごと
くめぐらせて、牙をむく。眼はケモノの眼。あるいは時の眼。

黒ぶどうの黒を、黒と断ずれば、世のあまたの黒がざわめき、地が
揺らぐ。ぶどうに手を出すな、白黒つけずに放っておけ、それが最
良の解決策だ、この国の官僚はそう嘯いて、ぶどうのタネを飛ばす、
悪臭放つツバといっしょに。