リアリティに欠けるいびつなリンゴ



 りんごの皮をむき始めるとわたしはけさもりんごに入っていく
ようだ。
 ガスコンロでは湯がわき始めているし、りんごに入っているひ
まなどないはずなのだが、皮をむく手の先から一気にからだを持
っていかれる。たぶん疲れているのだ、踏ん張りがきかない、意
思のありかもさだかでない、歳をとったせいか。つまりどうとり
つくろっても、果物ナイフのようにりんごのなかへ――などと、
さっそうとしたものではないのだ。
 視界が白いものに覆われるのは老化ではなくて果肉のせい、も
の悲しく涙目になるのも果汁が涙腺を刺戟するから。心地いいが、
生理現象に感情が追いつかない、もしくは結びつかない。
 りんごに丸めこまれたわたしは蒼ざめているのだろう、なにか
しらぜんまいの力は働いていて、なおかつそれの力の及ばないと
ころに置かれているのに、めまいだけは確実におそってくる。ふ
らつきながら赤い薄皮に包まれていく。りんご内のもうひとつの
りんごのように。
 りんごに入ってしまえば、童話のなりゆきを待つような幼稚な
思惟に身を任すほかない。投げつけたりんごが、虫になった男の
からだにめり込んだ話をいまさらながら思い出したりする。りん
ごがまるで鉄の塊でもあるかのようにからだにめり込むとは! 
 わたしがりんごに入り込むのとはまったく正反対の事柄がどこ
かにあって(あるはずもないところにりんごがあって)どうやら
それらと対になって、わたしはこの世に――煮えたぎる湯のそば
にとどまっているとみえる。