トラクターを動かしているスタインベックとか

トンボとトラクター


 去年は正月3が日のうちにチョウを見た。ヒメアカタテハで、成虫で越冬したものらしい。羽に目立った損傷はなかった。庭のコギクの蜜をすっている写真を何枚も撮った。マクロレンズで大接近を試み、こちらの顔も花粉にまみれた。
 というように、コギクも年を越して咲いていたわけだが、ことしはなんとしたことか、コギクの花の影も形もない。
 チョウのほうは足に通風が出る前に出かけて行った牛久の畑のそばで見たのが<初蝶>となる。ルリタテハだったが、よれよれで、枯れ草のなかで動かなかった。

 トンボについて、ちいさなことを書きとめておこうとして、前置きがチョウになった。
 去年の夏にメモしておいたものだ。

 たんぼなどに生えた痩せたスギナにとまって棒高跳びのかっこうになっているのや、倒立や、水面をかすめてのジャンプなどよりも、脚をきれいにたたんで滑空している姿が最も魅力的、とおもうのだが、トンボはいつでも脚をたたんで飛ぶとはかぎらないようだ。
 ヤンマが、力づよい飛行を続行しながら、同時に脚をいっぽんだけだらんとたらしているのを見た…。
 きちんとたたんでいると空中で獲物を捕らえるのには不都合で、力を抜いてスタンバイ、ということもあるのだろうか。

 もうひとつのメモ。
 コメ作りを休んでひび割れを起こしているたんぼに雑草がはびこる。歩けばなにやら虫がはねる。すると、はねた虫をねらってトンボが飛びついてくる。
 おおむねシオカラなど中型のトンボで、わたしはまるであやしげなオーラをふりまく特別な人種になった気分になる。そうしてかわいたたんぼを歩きまわる。
 オーラとかなんとかいったって、じつは、たんぼを掘り返すトラクターと腹をすかした野鳥の情景と大差ない。
 
 トラクターの運転席から日焼けした顔を出して老人が訊く。
「二十日鼠と人間は、いまでも売れてるかい」
「えっ…」とわたしは口ごもる。
 それからまじまじと老人の顔をうかがって、こたえる。
「わたしも、一冊あればいいし……どうかしら」
「怒りの葡萄はどうだろう」
 トラクターの運転が、文学に変わる仕事か、とわたしは老人を少し気の毒におもう。
 いちどはトラクターを運転したいものだ、とわたし自身はあこがれているのだが。



2009.1.30