正月3日の小さい家のイルミネーション

明かりをつけましょ


 どこかの庭園じゃあるまいし、暗くなったからと明かりをともす必要もないのだが、ソーラーとかLEDライトとはどんなものか、2個セットのランタンをホームセンターで買ってきた。千円でつりがくる。
 それくらいの値段だから改まって見るまでもなく、見栄えもせず、庭におけば装飾するというよりも邪魔になりそうな、ポリ製で、2リットルのやかんと較べればやかんのほうがでかいくらいのおそまつなランタンだ。ちょっとした風にもさらわれそうだ。
 しかし、色気のない黒いランタンをのぞきこめば、意味深なガラス棒が透明な膚をさらして天井からさがり、周囲の反射板に姿を映している。豆電球なら豆電球で味わいもあるはずだけれど、それよりもただ棒のようなものであるというのもまたそこはかとない興趣をさそう。これがどんなふうに光るのか。
 2の字型のスタンドがひとつついていて、同じランタンの一方はこれで飾り、もう一方はどこでもいいからかってに置いたりぶらさげたりせよということだ。子供だましみたいなものだが、ライトの色が切り替えられるスイッチがついていて、ホワイトを選べ、イエローを選べ、となっている。
 で、ソーラーだから、ソーラーパネルを日光に向けなくてはならない。晴天下で8時間でフル充電、8時間点灯するという。
 先にいってしまえば、薄暗くなってからひとつは白色、ひとつは黄色にした明かりが、8時間どころか明け方まで玄関の横でともっていたのには、ちょいとカンゲキした。明け方、離れの部屋に行くついでに見たのだ。小さいながらいかにも毅然としてともっている。
 代価の何割かはこれで消費したなとおもった。惜しくない。あとは余禄で細く長く楽しむのだ。とはいえ、ソーラー蓄電池だって疲弊し消耗して、時期がくれば交換しないといけないのだから、いつまでも楽しむためには費用がかかる。
 それに、もっと重要なことだが、興味のほうもどんどん消耗していくにちがいないのだ。
 話を前日にもどせば、ソーラーパネルは、2センチ四方ほどの大きさで、これを日光にさらさなければならない。夜明けまもなくから陽の当たる家ではあるが、西側は丘がふさいでいるから、天気がよくても午後の日脚は短い。使い始めの初日、太陽にさらすこと8時間とはならず、それでも目いっぱい太陽エネルギーを獲得していただこうと二つのランタンを持ってせまい庭をうろうろした。  そんなところへいつものキジバトが二羽、えさをねだりにやってきた。午後は二時ごろときまっている、つまり命あるかぎりの生きたハト時計だ。こいつらは無視すると、かなしいかな、それがわかってその日はそれきり立ち去っていく。さみしい思いをするのはこちらだから、なにをおいてもえさをひとにぎり庭に置く。
 10年以上も付き合っている代々のキジバトを、ほっといても明かりをともすソーラーライトランタンと同じ手つきでは扱えないとおもう。
 それからけっきょく道端に置いたランタンを、夕方近くには玄関の横にならべて、薄暗くなると二つの小さな光が、正月3日の小さい家のイルミネーションになったのだった。ちょっと照れくさい明かりだ。


2010.1.5 4.1改稿