記憶の「シャワー」


 そのかたは、そのころ六本木の二階建てアパートの一階に住んでおり、くつろいだパジャマ姿のまま軒先で、これでもか、これでもか、というぐあいにサックスで同じフレーズを繰り返していた。
 素人の私には、あのフレーズのなにが気に入らないのだろう、とおもうばかり。
 そのかたはたぶん、全身全霊をかけて曲に取り組んでいたはずで、一流の音楽家の、いわば血のにじむような努力を、私は目の当たりにしていたのかもしれない。

 アパートのとなりは金魚問屋で、谷から仰げば10チャンネルのテレビ局。そのころはまだボールを投げ、バットを振りまわすぐらいはできる草地があったりして、問屋の従業員たちは暇をみつけては遊び興じ、やぶに打ち込んだボールを探しまわった。  やがてそこにマンションが建ち、フォークソングの大御所が住み、アイドルとのうわさが持ち上がったり…。はるかに昔の話である。

 サックス奏者も、ときには金魚問屋へ小学生の娘と連れ立ってふらりとやってきた。
 ステージでもそうだが、気さくな人だ。
 一流の人が気さく、ということには、ずいぶん価値がある、と私は考えている。
 真打の某落語家(故人)も金魚を求めに来店したが、どこのやくざかと疑いたくなるほど横柄な人で、麻布十番の商店街を闊歩するのを見ても、まったくのやくざ風情であった。

 もうひとつついでにいえば、そのすじのかたがたも金魚すくいなどの金魚を仕入れに来るのだが、やくざの親分は腰低く、なまじの連中はやはり、やくざ風を吹かせないではいられないらしく、それがいかにも露骨なので苦笑を禁じえないのだった。威張っているやつがいたら、たいしたやつではない、とすぐわかるのである。

 ダンディなサックス奏者の、パジャマでの奮闘を私は何度も見てきた、そんな気がする。
 いま、江戸時代からの老舗金魚問屋はいずこへ消え去ったか。
 「カリフォルニア・シャワー」はずっと時を経ての曲だが、繰り返されていたあのフレーズは、ひょっとすると「カリフォルニア・シャワー」のワン・フレーズではなかったかと、空想してみる。
 そしてこれが「六本木シャワー」と名を変えても、私の中ではいっこうにさしつかえない。(これがタイトルだと、荻野目洋子サンあたりの唄のようで照れくささが生じるが)
 六本木六丁目はかつてナベサダがパジャマでいた街であり、私にとっても生活と密着した街である。かってに空想と現実を交錯させ、かってに元気になる曲である。




2011.8.27