番町スタジオ 2/2

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らないのだから、狭い、汚い、といわれても比較のしようがない。

 モニター室という部屋にいて、ガラス越しに歌手や楽団を見ていた。
歌手は男で、いかにも音楽学校で声楽を勉強してきました、といった発
声と唄いぶりで、すでに歌謡曲に目覚めていた十八か十九の少年の耳に
はなじまなかった。じぶんが手がけた詞が音楽として加工されているこ
とに並でない興奮はあったけれど、詞に書きとめた《ことば》は、メロ
ディこそそれらしくなっているが、いまそこで歌われているニュアンス
とはちがう、というちぐはぐな気持で聴いていた。

 もっとたしかな興奮は、楽曲ではなくて、音そのものにひきおこされ
ていた。大音量で聴く音は、映画館のほかに知らないくらいだから、十
数人で編まれたオーケストラの音の大きさにまず驚いたし、ナマのおと
の凄さをあらためて思い知ったのだ。あらためて、というのは、いなか
町の映画館で催された歌のコンテストに出て、楽団のナマの音に接して
おり、そこでイントロのトランペットに酔いしれ、舞いあがった経験が
あったからだが、これはまたべつの話になる。          
 モニターとか、ミキサーとか、専門的なことにもまったく無知で、あ
あいうところのひとたちはたいていヘッドホンをつけているものらしい
と知ったけれど、番町スタジオで受けた音の洗礼は、のちにジャズ喫茶
「アシベ(ACB)」や「ピットイン」などで聴く器楽演奏にも、護符の
ごとく、まぼろしのごとく、記憶の通奏低音としてたちあらわれてくる
ことになる。

「おーい、タイコ」と指揮者がスタジオ内でさけんだ。「楽譜どおりに
やってくれよ」
 ドラマーが笑いをまじえてこたえた。
「楽譜どおりでいいんですかあ」
 レコーディングされている曲は、映画音楽を本業としているひとの作
曲によるものである。作曲家はそこに居合わせなかったが、いればかれ
らのことばのやりとりに屈辱をかんじたかもしれない。
 もっともあとになってかんがえれば、ケチをつけられたようなドラム
は作曲家の仕事ではなく、編曲家がいたのかもしれない。
 カラオケなどまだ普及するけはいすらない時代であり、レコーディン
グは唄とオーケストラの同時録音があたりまえだったころのはなしであ
る。(2011.5)