ある単行本の巻末、本文が終わって、奥付があるところに大きい活字で、
<ご拝読、ありがとうございました!>
とある。
本文は縦書き、こここだけ横書きで、ほぼページ横幅めいっぱいに印刷されている。
冗談かとおもった。
その本の内容がそもそも冗談ぽい口調で家庭内の出来事なんかを書きつらねた、随想集ふうのもので、ときには教訓めいたことをのたまい、知識をひけらかしたりしている。ただし、でたらめもあって、
<太刀は両刃、刀は片刃のものをいう。だから相撲の太刀持ちという言い方はおかしいのである>
なんて書いている。すぐあとに、巷間のうわさだから責任は持たない、とつけくわえてあるが、しゃれにもならない。
いうまでもなく、拝読は他人の文章を読むことの敬語。
ご拝読の「ご」はよけいな接頭語で、過剰な丁寧さで、顰蹙を買うことにもなる。
たとえば、この本の読者が、
「ご拝読いたしました」
と手紙などを著者に書き送るとする。
これに対して著者が、
「ご拝読ありがとうございました」
と返事をしたためる…
これは、読者へのあてこすりになる可能性がある。
読者へ、読者の物言いをおうむ返しで書き、たとえば、
「あなたは、<拝読>ですむところにわざわざ<ご>までつけた」
と、暗に批判する手合いである。
もしくは、
「あなたには読まれたくなかった」
と皮肉る意味さえこめられる。
そうでなければ、敬語の使い方を承知の上でわざわざ、「ご拝読、ありがとう」などと書く必要がない。
ここでは、まず著者自身が、じぶんの書物を読まれたことを前提に、
「ご拝読、ありがとうございました」
といっているのだから、読者にはなんの落ち度もない。そのうえ、注釈もないところをみると、本人はまじめに、大き目の活字で(つまり声高に)いっているらしいのである。
書物の本文よりもさきに「あとがき」を読むことが多い。「あとがき」にはしばしば書物を読み解くヒントがひそんでいるということもある。そしてそこにだけ著者のナマの声が聞こえてくることがある。これはこれで、本文にはない興趣をそそられる。
しかし、まだ読んでもいないうちから、あとがきのようなところで「ご拝読、ありがとうございました!」なんて声をかけられたら、わたしなどはもう本文なんかどうでもよくなる。
原稿をものした著者本人の見識が問われるけれども、これがそのまま本になるというのもスゴイ。校正を著者に任せっぱなしというのもちょっと考えられないし、校正者がいたとすればそのひとも誤りに気づかなかったか、気づいていながら黙認したか。
校正者ばかりでなく、編集者もいたとすればさらになやましい。
どうしてこんな本が手元にあるか、そのわけを弁解ふうに書いておくと、著者自身に「買え」といわれて仕方なく買ったひとがいて、読み始めたけれど、女性を卑下するところがあって読み続けられない、いらないからあげる、とメール便で送られてきたもの。
男性ならおもしろいと思うかもしれないとのことだったが、わたしに女性蔑視の趣味はない。
出版社は社主(発行人)とも、知る人ぞ知るところのものである。
著者は、元スポーツ新聞記者である。
2011.2.10