あの1億円の橋のたもとで




 工費1億円のあの橋のたもとでのおじさんとの立ち話には、公園のありかたへの不平のほかに、パトロールのステッカーをつけた車の運転マナーについてもあったなあ、と思い出している。
「そんな運転するなら、ステッカーをはずせ」
 とおじさんはいいたかったようだ。
「ああ、それなら龍ケ崎も同じですよ」
 どんな看板をしょっていても、また何もしょっていなくっても、運転マナーを守るのはあたりまえだが、蛍光塗料のついた服を着て泥棒に入るようなまねはやめろということだ。やることが目立つ。

「時間がたてば土に返るっていうが、除草剤だって、まいたあとに雨でも降れば田んぼにしみこんでいくだろう。どんなあぶねえ米つくっているかわかりゃあしねえ」
「ああ、龍ケ崎もそうですよ」
 去年、用水路に雑魚類がいく匹も瀕死の状態になっているのを見た。
「除草剤だな」
 とおもった。

 数年前だが、魚をとる網を持ってあぜ道をうろついていると、田んぼの持主が訊いたものだ。
「なにか、いるかい」
 わらいをふくんだ訊きかたは、こんなところにいるのはザリガニぐらいだ、とかんがえているからにちがいない。
 流れの幅が1メートルもない用水路だ。稲が育ってしまえば、また次の春まではあるかなきかの流れでしかない。
 しかし、田んぼに水があれば用水路もうるおい、ドジョウ、モツゴ、ときには小さなフナだってつかまえられる。そんなはずはない、と田んぼの持主はおもっているにちがいない。
 そうして去年、生きものが水面にプカプカ浮かんだというわけだ。
 生きものの存在がそんなふうに証明されるなんて、おそろしいことだ。

 あの一億円の橋のたもとで、知り合いでもないおじさんふたりが、あれもこれもほおっておいていいことではないと言い、うなずきあっていたのだった。

2008.7.3