一九六〇年代の歌謡教室 1/2

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一九六〇年代の歌謡教室


 橋幸夫の『潮来笠』が巷間をにぎやかにしていた一九六〇年代初頭の
話である。
 歌手Zもデビューしたて、某レコード会社専属作曲家の内弟子として、
東京某所、作曲家の自宅に住み込んでいた。作曲家の家は歌謡教室もか
ねていた。作曲家の奥さんもジャンルは異なるが歌手で、このひとも生
徒の歌に伴奏をつける。
 生徒はみずからえらんだ二曲を、作曲家と夫人とにそれぞれ伴奏をつ
けてもらって指導を受ける。一曲フルコーラスを三回ずつ歌う。
 教室は二部屋あって、生徒は自分の楽譜を持って別室に控えていて、
順番が来たらピアノのある部屋へ入っていく。
 歌謡教室の先生は音大生などもアルバイトできていて、生徒の歌の伴
奏をつける。ひょっとすると特に歌唱を指導しなくてもいい、といった
とりきめが、教室側とのあいだにあったのかもしれない。だいたい作曲
家も作曲家夫人も、生徒に歌をああしろこうしろとはめったにいわない。
生徒はピアノに合わせて歌うだけで、こんなことで上達が見込めるのか、
不安になる生徒もあったにちがいない。アルバイトの先生もピアノを弾
けさえすればよかったのかもしれない。むしろこちらのほうが親身にな
って生徒に接していると思わせることがあった。教室を出て、駅への道
を歩きながら、さりげなく、
「がんばると、いいですよ」
 と生徒のひとりに声をかけたりもした。雇われている身だから、とく
に生徒にお世辞をつかう必要もなく、本心から将来を期待したい生徒も
いたのだ。
 ということはつまり、大方はただ歌が好きなだけで、才能の芽をかが
やかせている生徒はそれほどいなかったのである。
 内弟子のZは二階の部屋で寝起きしており、ときおり高価そうなガウ
ンを羽織って寝ぼけた顔で階段を降りてくる。いささかトウが立った年
代とはいえ、デビューしたての新人歌手だから、生徒は控えめながら羨
望の目で見るし、歌手のほうも自意識過剰を露出して生徒たちの前に現
れ、
「きみ、ぼくの声に近いものをもってるね」
 などといったりする。
 
 一週間に一度、あるいは二度、三度、生徒はそれぞれの授業料を払っ
て通うわけだが、かれらはよくハガキを書かされた。歌謡ベストテンと
いったたぐいのラジオ番組へ送るハガキだ。ハガキを持って生徒の控室
に入ってくるのは作曲家夫人で、生徒たちがZの名前と曲名を書き、生
徒自身の住所と名前を書く。そして、いくつかに分けて別々のポストへ