岡堰ではきょうも間宮林蔵が泣いてるぞ




   小貝川は岡堰の話だ。
 ここは景勝地とされている。
 だが、堰が造りかえられてから、ようすが変わった。
 かつて中州にはサクラの木があって、春は花見客でにぎわった。
 この木がなくなった。岸辺のひとところに移されたのだ。
 まあ、そこまではいい。 
 中州には、堰の一部がモニュメントとして保存された。間宮林蔵*の銅像はそのまま、動かされることはなかった。*間宮林蔵の生地である。
 さてその中州へ、一年あまり前に橋がかけられた。
 これがひどく目障りな代物だ。
 岡堰には、中州のほかに、水神が祀られた岬がある。
 そこから眺める筑波山が<景勝>の重要なポイントになったであろうことは想像に難くない。岬から、もともとの堰を見ると、はるか向こうに筑波がある。そんな構図になる。
  いまは、立派な堰を眺めようとすると、中州にかかった橋がさえぎる。
 百メートルあまりの橋じたいがなんともいいがたく無粋である。
 実用にしては幅広だし、観光の配慮もない。
 ここで立ちどまっても、さらに歩いても、ここから逃れてはたから見ても、ちっとも絵にならない。

 ボランティアのパトロールおじさんは取手市民だが、よそ者の私よりももっと不満を持っていた。
 橋ひとつに次から次へと出てくる。
「茨城百景つったって、茨城にゃなんにもねえ」
 橋を架けるのに1億という金をかけても、新規の掲示板には貼り紙の一枚さえ貼られたことがない、という。これも屋根つきの立派なものが三基ある。
 中州は周囲三百メートルほど。たったそれだけの広さ。
 橋を渡って、なにをする?
 おじさんはいった。
「間宮林蔵が泣いてるよ」

2008.7.1