歌詠みとの冗漫なやりとり



 たとえば原稿用紙一枚に、「この」「それ」など5つ6つ出てきたら、指示語(指示代名詞)の多用ではないか、とわたしはかんがえる。
 詩ならば、50行のなかにそれだけ出てきたら、うっとうしい。
 もう、半年ぐらい前の話だが、そうした詩作品が送られてきたので、 「とりあえずこうしたことばだけでもとりはらって、眺めなおしては」
 と僭越な提案をした。
 作者はおりかえし、おなじ作品を指示語ゼロにしてきた。
 しかし、作品を読んだ印象ではまったくの初心者ともみえなかったのだが、作者には基本的なことがらについての誤解があった。
 私の提案を、詩を書くうえでのヒント、アイディアとうけとめたのである。
 アイディアと解釈する思考回路にはまた、実験とか試験とか、あるいはゲーム感覚での行動のパターンなどがほの見える。
 ただし、作品から察するところ、このひとが若者とはとてもみえない。
 指示語を削除するにあたって、ひょっとするとパズルでも解くみたいに楽しんだか。
 あいにく、基本的なことがらについての欠陥は、これらの濫用にとどまらなかったのであり、わたしが「とりあえず」といったのは、そんな意味をこめたのだけれど、作者は律儀に指示語だけを削除して、ほかは手をつけなかった。
 ほころびをとりつくろったはいいが、袖を通してみると、手が出ない。
 ハンガーにつるしておくだけの<見せかけ詩>は、あいかわらずだったのである。
 さらに、オチがある。
 2週間ほどのちだったか、なんと、もとの指示語だらけにもどしてきたのだ。  省略の提案をアイディアと受けとめ、それ以外でないことが決定的となる。

 ついさいきんになってから、このひとが短歌では年季の入ったご仁とわかった。
 どんな歌よみか知らないが、もちろん、なまえを出すわけにはいかない。
 じつは、なまえをわすれかけていて、ひょんなことで別のひとから少しばかり素性を知らされたのである。

2008.12.14