設計士の帰郷
詩集『文学ゴッコのやんま堂』より 連作10篇
1

雲形定規から私語をとりのぞく
とりわけ独りごとを
腐りかけた野菜を
ひえきらない魂をとりのぞく。
庭園のなかの水路をふちどる曲線は
新鮮でなおかつ
かわいていなければならない。
雲形といいつつ
雲にはありえない鋭角をかかえ
といをながれる雨音のようなものが
折れ曲がって男にささやく
しね、と。
私語がやむ
独りごとも
せきばらいも。
雨どいのながれの音も
尻すぼみに立ち消え
いちまいの雲形定規がつっぷす。
名をふせる まずおのれの名を
すべてのものの名を。
トレーシングペーパーの描線は
ころがるぬくもりに つまずきながら
電動消しゴムでととのえられ
はねのほうきで清められる。
描きあげられた庭園は
さっそく雨をあつめはじめた。
あずまやのスレート屋根が鳴る
未着色の芝がぬれ
ごろた石もしめった。
すべてのものの名をながす
という理想をせきとめて
無名設計士の影は
えんぴつ書きのいすと机に
くずれている
かすかな寝息のようなものも
とおからず、とりのぞかれる。
2

雲形定規には陽が昇らない
朝ぼらけもなければ夕まぐれもない
けれども雲形定規は陽あたりのいい部屋にあり
仕事ひとすじの男の寵愛をうけている
出番の頻度でいえば
縮尺定規や三角定規にはとてもかなわない
型抜き定規とくらべても
まだ少ない
だがいったん持ち出されると
製図台いちめん
豪雨のあとのようにしてしまう
楽器もこなす繊細な手でかきあつめられ
木函に寝かされ
雲形定規は机のひきだしにしまわれる
男は雲のない机をはなれ
墓地のみえる窓をとじて焼酎を呑む
たたみの隅の小さなテレビは
目にさだまらない画面をうつし
はしゃいだ声があしたの天気予報をいっている
そうかい、この世のはじまりは冬晴れかい
焼酎に酔い
やがて、ひきだしのおくから
予期せぬ雨音がきこえだし
傘のかわりに紐を手にして
決然と立ちあがる
一月三十一日、ときは、満ちた
男は雲形定規となって
板の間の梁に突き刺さる。
3

頭の骨にひびく甲高い靴音は
アパートのおまえの部屋の前でとまる
おまえは台所の片隅で
刈り上げたばかりの坊主頭を
ぐらりと垂れた
やせて小さいおのれが
それほど重い物体だったなんて
生まれてこのかた気づきもしなかったろう
そうだ 重い足音の持ち主が
おまえのからだに踏み込んだのだ
建築設計士のおまえは
おまえをうらぎった世界に
定規をあてない 鉛筆の線も入れない
几帳面な筆跡もあとぐされなく
あれこれの図面に捨て去って
うらぎりをそっくりそのまま別の世界へ
かかえていく
清潔好きでお洒落なおまえは
背広か それとも革のコートすがたかか
ノックスの帽子を小粋にかぶって
そんなおまえに敬意を表するが
やさしいことばをかけることもなかったおれを
許してはいけない
おまえがついに吐き出さなかった叱責や怨みが
呼気となり吸気となり
おまえの名をくちにするのは
この世に幾人もいない
それでも十分すぎると
おまえも納得するほかないのだ
一介の設計士の 設計どおりの最期が
繰り広げられた日々を
おれはくずれそうな壁にえがいてみる
おのれの死体以外は 束ねておく
支払うべきは支払い
腐敗するものはたまねぎの皮も残さない
食器棚も冷蔵庫もからにする
こうしたときにも
澄みわたる時間があって
少しずつ幼くなっていくじぶんを
袋につめる
かつて手紙を書いたことすらない兄に宛てて
後始末をよろしくたのむ と便箋にしたためる
それから 残りわずかな金で
おまえがこの世で使うこともない
新しい雑巾を二十枚ばかり用意する
さあ 生まれた町へ帰ろう
おまえがのこした登山靴をナップザックにつめて
おまえが暮らした部屋を出て行く
おまえが何十年も行き来した坂道だらけの街を
おれはそろそろとおりていく
おまえはきれいな足で
おれの背中をちょこちょこ小突いていればいい
生まれた町へ着くまでは。
4

見送られて
雨となった
見送るひとの無口が
季節はずれにひらきかけた
雨がみぞれを生み
みぞれがあらくれの
雪をそだてた
川岸のもやい舟も
雪を太くかぶって
ゆるい流れの島となった
むこう岸へこいでくれないか
亡霊のような船頭へ
最後のたのみごとをした
墨絵の墨もかすれるへさきに
琥珀の水鳥が凍っていた
見送られて
島は火となり
見送るひとの手ゆびも
風をさそった
いそぎ
桜のにおいをさせていた
燃えがらの
足跡もつけず
むこう岸のひとと
また別れ
見送られて
ひとり
生きる身となった
背を
羽のようなもので
やさしくはたかれながら。
5

あの野にある、いくつもの手が
まだあたたかい屍をうずめて
枯れ葉はふかく
おとずれて歩くひとの
くるぶしに喰らいつく
あの野にある、それぞれの手が舞い
葉脈につゆためて かじかむ
あまたの手が
枯れてかじかむ
さがして歩くひとの
くるぶしに喰らいつく手が
またも舞いあがり
葉脈につゆためて かじかむ
それぞれの手が枯れて
またおとずれるけはい
そうしてふかい枯れ葉の道に
亡霊のようなひとがつづき
あたたかい屍のうえに
かさねられていく つゆためて
だれがだれをさがしてか
ひとときをひかりながら。
6

くもがたのォ
と そのあとに
だんな とつけくわえられそうな
呼ばれかたをした
ふりかえったが 声のぬしもなく
信号待ちの空は くもがたもなにも
ただひたすらまっさおなばかり
だがなんのまねやら
赤信号をともしたなりで
鉄の橋がしずむじゃないか。
世事にうとい偽くもがたに
わかっているのは
情緒にもたれて身を持ちくずしたやつらと
縁を切り 橋を渡り
川の堤を背に
ゆるい坂をバイクでせかせか
下っていたこと。
さらに くもがたといえば
定規のほかになにがあるのか
おれは くもがたでも
定規でもない
とひらきなおり
おのれのからさわぎによろめき
まっさおな冬晴れ
落ちた鉄の橋と信号灯をさぐろうと
ハンドルを切りかけ
いや もしや
いましがた呼んだ声は
橋を渡りきるまえに
きこえていたのではなかったか
黄いろから赤へ信号がかわるまえに
たちどまらせ
鉄の骨ぐるみ
一月のつめたい流れに だれかが
さそっていたのではないか
おれはすでに
流れていくものではないのか。
地上でどよめく群衆も透きとおって
かるがるしいが
風にのっているやら
ゆうゆうと円をえがく
ひらいた白いコンパス鳥よ
おれは肩すぼめ眼をふせて
ひきょうものといわれながら
エンジンをふかして
逃げるくもがた
であろうか。
7

きっかり正午
シャガがとんだ
首をはねられた
というのではない
ながながと痛みをつるして
シャガがとんだ
正午
という時刻を
ヤマカガシのようなやつがあゆみ
くちへらずな釣りびとがひとり
群青の闇に
織りこまれた
町が鳴らす時報のサイレンは
聴かなかったが
シャガがとぶ音は聴いた
耳をうったのは
水の音
透きとおって枯れるまで
水と紙ひとえの
シャガを知らないか
正午 空を切って
シャガがとんだ
どこへとんだか
消えたおとこに訊け
シャガのあしあとに立ってとべ
ありふれた日々の
痛みをつるして。
8

くもがたよ 夏の
魚信はあるか
熱いあたりがおまえに
見えているか
糸はこの世に
たしかに織られているが
あそびごころのむすぼれを
ジャコウアゲハが毒をふくんで
くぐる
かがる
あの鯨幕の
ほねのあるチョウチョウさ。
おれはこの世に居残り
おまえが遺した半世紀ぶりの
蚊帳をふくらませ
やせた頭をつっこんで
息絶える夢をみる
夢は けもの顔。
首をくわえたまま
愛撫やら
甘噛みが ときに
鉄さびのにおいをたらたら
蚊帳もあおじろく
染まっていく
羽化するごとくに
蚊帳をぬけだせる
日はあるか
くもがたよ
魚信はあるか。
9

あの夏のすごしかたを
この夏にあてはめて
みずいろの如雨露には
みずを
錆びた五徳には
火を
つまり平凡な日々を
はじきだす
指の爪はわずかずつ
生気をとりもどし いっぽう
湿っぽいうらの出入口では
くちびるから色がぬける
色をのがしたガラスのふたの
わずかなずれが
植物群をねむらせず
昆虫たちの
時を食む音もしだいに大きくなる
いずれのうつわも
いびつによりそいながら ふるえ
うらぎり
チョウのさなぎが 腹から
生きたハエをしぼり出す
爪、くちびるに
たかる たそがれ
この世につながる
吐き気もの
おれはふらふら
悪夢の夏をたたみかけ
如雨露の水をそそがれて
液状の眼をひらく
撃てどもたおれぬ
つららのように凍った
あいつのせなかへむけて。
10

死もにおう川へ
ひさびさのてのひらを
置きにきたが
だれぞの名をつぶやく虻が
岸辺の花いちりんにおぼれたか
もどってこない
ひるさがり…そうだ そんな称号の
ひとときもあったのだ
川にあてがうはずのてのひらを
かざして陽をよけながら
影は伸び
伸び続けるままに立ちつくす
たしかに におう。
砂になかば埋もれたロープにも
陰、ひなたは生じ
周縁をめぐって
かけぬける湿気にまじり
架空であるなら架空であれ。
におう黒橋をわたって
逃げていく男の
首にかかる
湿りけの
においの
てのひらの
うすさに
透けて見えるのが
おれの
残り姿か。
