赤い舟による川下りのイメージ 夢の川の舟下りの船頭は、すべて片眼だった。眼窩にしなびた瞼 がいかにも陰鬱に貼りついていたり、あるいは、まるで両眼が健在 であるかのようにみえても、一方は義眼なのである。 船頭の視野から墜ちかかる風景は、むきたしの岩肌である。 船頭があやつる竿は、われらの生あたたかくやわらかい肉の中に 突き立てられる。われらの血しぶきは舟を染め、舟にすがりつくの は、舟下りをたのしむあかい口だ。 船頭の盲目の眼に汗がひかり、百粒の汗に百艘のあかい舟が彎曲 にうかんでいる。船頭の視野の外をわれらは滑走しているのだろう、 岩肌のとある樹の根にからまれそうだ。 船頭の生活する眼に残像として積みのこされる観光客がひとりふ たり、あるいは何万人もいて、もちろんかれらはいまわれらの舟に はいない。(船頭たちは、あす、どのような運命の上に立つのだろ う。) あの千鳥たちは、われらの飛翔である。 川下では、鳥類の卵のようにカメラマンが岩に嵌めこまれている。 だが、われらがかれと出合うとは限らない。 あの千鳥たちを見よ! 船頭は訛りのつよいことばで、われらの眼をカメラに向けさせよ うとし、あかい舟に一瞬、重心のたわむれがある。