兇器の生成 そのとき曲線は陥穿そのものの連続的な運動である。 それは、自らをおとしめることによってわれらの前に現れ、われ らのすべての直視と、直視されるすべての〈もの〉とを妨害してき た。われらはなにものをも凝視しえない。あらゆる〈もの〉は絶え ずわれらの眼前から逃れ去る。 しかし、兇器・物Lの空間的限界を確認する困難さは、その運動 の自閉症的な性格のゆえではなく、むしろ、積極的とさえいえる流 亡性にある。兇器・物Lは、たんなる道具から転落すると同時に、 感性あるいは倫理性の具現として、独自の《手》を獲得するのだ。 だからいかに流亡とはいえ、孤立することはなく、物Lは、物でも ない〈もの〉につねに癒着している。 こうして物Lは、陥穿群のうちに弧をえがき、たとえば物M、た とえば《納屋》のごとく現象する。 それは因習の納屋だ。物Lは、この病原体に紛れこみ、兇器とし て培われ洗練される。そしてやがて風媒花のように流れ飛び、選ば れた者の頭部へふりおろされる