神経を除去されたテーブルの上に かれが否応なしに犯罪者であるとき、かれの外延をめぐる心臓は もっとも安らぎ、背は呼吸を荒らげ、盲目の眼となって全存在を匿 まう。かれはいま物Fを奪うのではなく、物Eとしての発熱が物F をして溶解せしめるのである。いわば、二者の均衡は、発熱から発 汗への音階的過程に組入れられている。 あらゆる犯罪は耳に快く、耳自体に集約できる。ちなみに、平均 台をわたる少年を見よ、かくも蝶を髣髴させる腕のひろがりは、そ のまま犯罪へのかぎりない憧憬ある。ふらつく足はすでに消えかか り、かれの耳は何にもまして熱い。 罪の重さとは、テーブルがかかえている重さである。このテーブ ルにいかなる神経がかかっていたか、その分析、抽象が罪の重さを 決定し、テーブルは、いまやそこにない物の重さ以上の桎梏を加え られる。たとえばそれは撃叩され、あるいはくつがえされる。 穴のあいたテーブルがある。もろもろの神経が抜きとられた痕跡 であり、罰、または物Gがこれをふさぐ。ところがなにびとも、罰、 または物Gをこれに加算できない。穴は罪でありつづけ、それは、 身をのりだして自らの足もとを確認する機会を、われらに与えつづ ける。