花の色を略す2008.04.06
「ダイコンの花」
竹林の中のおばあさんはそう答えて、わらった。「ガクメイは知らね」
ダイコンという野菜はあっても、おなじ名の草花はなさそうだ。
しらべてみれば、ハナダイコン。
「畑の大根の花は白」ともおばあさんはいった。
これもちょっとちがう。
うすいむらさきがまじる。
これも略して、「白」といったか。
色を略す。緑と青をいっしょにして「あお」といったりする。
黄色と橙色も、黄色でくくって通用させたりする。
だが、私たちの眼は、緑ひとつをとっても、さまざまな緑を見てとることができる。
これはすばらしい機能ではないか。
ひといろに見て、ぼんやりするのもいいし、きめ細かさに心を泳がせて楽しむのもいい。
しかし、ハナダイコンの紫を見ながら、紫でない、ほかの色のことを考えるのは、できそうで、むずかしいようだ。
花びらが落ち、びわの毛皮が残る。
いや、毛皮のなかでは、つぎの夏へ向けて、実りへのいとなみが絶えることはない。
ただ外気は冷たく、毛皮はいよいよ毛ぶかく、いのちを包む。
枯れ野にあり2008.01.15
森のほとりのユズは
実るにまかせ
落ちるにまかせ
ふたつみっつ、ひろって
くたびれたコートのポケットにしのばせ
わたしのふるまいに
森がさざめき
やせた白い花が
こつぶの赤い実が
しんとした冷たい空気をやぶって
かがやきはじめる
わたしは ちいさなけもののように
おののき
ふるえ
枯れ草のふりをする
県境の橋をわたると、森の顔つきがかわる。
のっぺりとした表情から、彫りの深い表情に。
したしみやすく、誘惑的ですらある森が前方にみえてくる。
わが町から、東へ、海まで五十キロ走ってもほとんど標高差ゼロの道のりだが、
同じ関東平野で、南へ直線距離にして十キロほど走れば、おおぶりな坂道をうねっていく異国であり、
ライダーのわたしは異邦の旅人になる。
黒いサクランボはきいたことがあるけれど、それが赤い実といっしょに同じ木になるものなのかどうか。
赤い実は、やがて、黒へとかわるのだろうか。
直径十ミリほどの固い実からは、そうした兆しはうかがえなかったけれど。
資料館のひとにたずねてみればよかった、とあとになっておもった。
受付のひとと、話はしたのだ。サクランボの話ではなく、館の前庭に栽培されているホトトギスについて。
メタセコイヤの木の下で、そこから落ちるしずくが、ホトトギスによからぬ影響を与えているのではないか、とそのひとはいう。
さらに、ここでは自生しているのがほかにあって、そのひとも、ことしこそ、その花をみたい、という。
ことしは、だから、龍ケ崎と、もしかすると成田市でも、自生のホトトギスがみられるかもしれない。