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紙幣さつの数え方 仲山 清

 








 1

 見た目がスナックかバブを思わせる造りの銀行であった。
 いなか町にあって、いやみな気どりだ。
 中身もいやみである。一か月分の生活費をおろしにきたのだが、たいして客がいるでもないのに永いこと待たす。
 この銀行の本店の幹部が不正融資で警察に追究されている最中であることを思い出して、よけいシャクにさわった。
 預金者のひとりとして、やつらの悪事に何億分の一、何兆分の一だろうと関わっていることは不愉快だ。ごまめの歯ぎしりである。
 せっかちに預金の解約を申し出た。
 窓口のホステス……いや、銀行員は、おれをなだめたりすかしたりしはじめた。ほんとうはおれを客だなどとてんから考えていず、義理でひきとめているのである。そんなところはホステスと同じである。
 おれは片意地をはった。
「でも、お客さま、解約ということですと、また少々時間をいただくことになりますよ」
 こんどは脅迫か。
 時間という利子をいただきますよといっている。
 いいだろう、おれの都合で支払う利子だ、一時間でも二時間でも持っていきやがれ。
 自分のヒステリックさに改めてうんざりしながらたっぷり三〇分待たされてカネを受けとり、おとなしく銀行を出た。勝負に勝ったという気分はない。むしろ、負けたのである。クズめ…と銀行側は考えている。
 背後で自動ドアが閉じるまもなく、見知らぬ男に声をかけられた。
 ホステスのヒモでも追ってきて、なにか因縁でもつけるのか。
 そんな場面にたちいたる理由がないわけではない。
 痩せぎすの背の高い男だった。
「見てもらいたいものがある」
とおれの身なりをぶしつけに見まわす。
 そのときになっておれは自分の腰にペンチ、スパナ、ニッバー、ドライバー、ナイフなどをぶらさげているのに気づいた。
 男は電気器具の修理でもやらせたいのか。返事を待たず歩きだした。おれは灰色の服を着た男の妙に影のうすい、とりとめのなさに引きずられ、町の閑散とした通りをついて行った。

 



 やかて、丘のふもとにきた。
 灰色の服の男はがけが切り立ったところを回りこむや、そこに設えられた金庫のもののような鉄の扉を開いた。中は暗く、入った男が闇にまぎれた。
 おれもつづき、うしろでひとりでに扉が閉じると、外からはまったくの秘密になったふうだった。
 おとこはいった。
「急いでくれ」
 かどを曲ると、燐が燃えているような明りが点々とつらなり、狭い通路を照らし出している。廊下を行き、ついで階段を昇った。丘の内部を昇っているのだ。なにがおもしろくこんな施設があるのだろう。
 踊り場ごとに扉があり、どれも半開きになっている。通りすがりに見るともなしに見ると、男と同じような作業服の男女がいた。
ベルト・コンベアで流れているものが、逆にたどると、身に覚えのあるものへと近づいていくのが読みとれた。
 だからおれはそいつが人間の形をとるまえに扉を覗きこむのを中止した。
 丘の上が墓地であることは承知していた。

 3

 おれたちは階段を昇りつづけた。  男は見かけによらずたくましい脚力でおれの歩みに差をつけ、しだいに粗暴さを零わにして、おれののろさをなじった。
 近ごろ運動不足なもので、といいわけをしたくなる。
 それから身の安全が気になりだした。
 すくなくともコンベアの上のものになるのはごめんだ。
 腰のナイフに手をあてがって男を追った。
 その扉は閉っていた。
 男があけると、いきなり青空である。
 揚がりすぎた魂がどしんと投げ返されたような気分だった。
 ふりかえると扉の形跡はない。
 なにもかもが男の思わせぶりにすぎない気がした。
 だがまだ安心はできない。
 疲れきって笹やぶにたたずんでいる間にも、男はあるとも見えぬ小径をまっすぐつき進んでいた。いったん姿が笹やぶの深みに消え、まもなく正面の、枝がいっぽんもない、すくっとのびた樹をのぼり始めた。まるで歩くようなみごとな登りかたで、男が小さく見えるほどの高みに辿りつく。

 



「これだ、これ! これを見せたかったんだ」
 男が叫ぶなり、樹はゆっくりとたわみ、丘の静けさがひきつれた。未 発達な筋肉のような柔軟さで樹はさらにたわみ、灰色の男は恐怖に四肢を縮めた格好で前方へ泳ぎだした。まるで古い記憶の中のおもちゃ、チを縮めた格好で前方へ泳ぎだした。まるで古い記憶の中のおもちゃ、チ ューブを尻にくっつけたゴム製の蛙である。
 そのまま丘のむこうへ転落していった。
 樹はもとのまっすぐな姿に立ち返っている。
 おれは使うチャンスのなかったナイフの刃をとじた。
 なにを見せたかったのか、わからずじまいだ、とおもった。
 手持ちぶさたである。預金通帳とカネがはいっている紙袋を胸ポケッ トからとりだし、紙幣を抜いてかぞえた。
 あっというまにかぞえ終え、がっかりしていると、樹のむこうの笹や ぶががさごそ鳴りだす。
 血みどろの顔が這いあがってきた。いましがたの男である。
「見たか」
 と息もたえだえの声で訊く。
 なにがあったのだ。
「落ちるのは見たぞ」  男はがっかりしたように笹の葉に顔をうずめた。そしてうめいた。
「おまえは自分を何様だと思ってるんだ…」
 おれはまた紙幣をかぞえ始めた。
 男はふたたび樹にのぼる気配である。
 空中遊泳と、銭勘定と…。
 永久運動のにおいが立つ。
 おれはまた、あの銀行の前に立っている。

 これがおれののせられたコンベアでおこるすべてのことがらである。
 まだ、解体されていない。

 *初出 鰐組別冊 誌上パーティ'86 一九八六・一〇