堰止湖で遊びましょ 仲山 清
女の太ももにふれて、汗ばむ気分である。気分に、照れくささがまじっている。
午後、多摩川の土手を歩き、初夏の太陽に無帽のあたまをじりじりと灼かれて、うんざりしていた。
初めてのコースの散歩で、来るときは川原へおりて汀を歩いたが、帰りは土手道をえらび、並行する車道をどこで横断すれば迷わず帰宅できるか、あらかじめ見当をつけておいた向こう岸の工場の屋根の三菱マークを気にかけながら歩いていた。
土手道を歩きはじめてから十分あまり、二、三のサイクリングの人と行きちがったけれども、ほかに人は見ていない。
車道では、男とは逆の方向への車が数珠つなぎになってのろのろ動いていた。車の中の人間は鋼鉄とガラスのかたまりに巣喰って、ハンドルだのアクセルだのにつながって機械化した、半生物である。
それにくらべれば男のねっとりとした気分とその底にナメクジみたいにはりついている照れくささは、もっと人間的なものだ。
だしぬけに生じた気分が、じわじわ膨らんでくる。てらてら光るスジを後ろにひきずっているナメクジである。
幅広の川原には丈みじかい雑草が生えひろがり、流れはずっとさきの、まだ見えぬ河口へむかって太くゆるやかにわん曲している。ひょっとすると、気分の原因はこれかもしれない。
そう考えたとたん、感情のくるいは醒め、男はまもなく川の流れを背にした。
「川、したい」
行きつけのスナックの雇われママが誘う表情でいった。 日中の散歩でのあの感情を話したあとである。話しながら歯が浮いたけれど、ふだん客に堅物といわれている彼女は単純に猥談と受けとめ、声をたてずに笑った。
「太ももじゃなくて、ずばり、あれじゃないの」
ほかに客がいないせいもあって、露骨である。
土手道、と口にしていれば、辿りつきやすい連想ではあった。
川原を含めた川幅の、さらに幅広になりつつゆったりとカーブしているのが、はじめから太ももとして男のあたまに侵入したのではなく、まず感情があったのだし、ねっとりとした気分と同時にそれを照れくさがっているというナルシストめいた錯綜こそが男にとっては真相なのだ。
しかし、彼女の解釈を否定したところで、男のまずしい感受性が立派にみえるわけでもない。
「川、したい」とかわいらしくしなをつくる彼女に妥協する、ずるい気持がある。
堅物の彼女に何かが起った……。
それがなんであろうと、ちゃちを入れている場合ではないぞ。照れている場合ではないぞ。さしあたり彼女は川になるしかないのだ。
男は私鉄で三つ四つ駅を行ったところの街の名をいった。
「早じまいして行きましょ」彼女は積極的であった。
多摩川を遠ざかる方角へ走るタクシーの中でも、いっこうに昂ぶらない自分を持て余していた。川について、あれは太ももである、という観念が居座っていたらしい。
彼女の解釈どおりだとすると、奇妙な女体ができあがってしまう。彼女の〈ずばり〉が、幅広く、右へ左へくねっている……。面倒なことになりそうだ。
安ホテルのベッドの上の彼女は華奢なからだを堅いなりにくねらせ、釣り針にかかった魚のようにきらきらウロコをまきちらして跳ねた。
堅物とはなにごとか。
それから、頼んだ。
彼女ははじめ拒んだが、折れて、男はいったん夜具にもぐり、そしておごそかに、つまり、より淫らに、めくった。
右側、葦の葉群らがうすれる場所にそれはあった。予期せぬ符合である。形こそ三菱ではないけれど、遠目にはあれだってホクロに見える。
多摩川はほとんど埋没し、いまや堰止湖としてわずかに面影をのこすのみである。あとはおよそのっペらぽう、火山灰やらヘドロやら幾層にも累積して不毛の地と化している……。
遠く雷鳴がとどろく。それとも地鳴りか。
やがて、声がした。
「どうしたの」と、店での男のあだ名を呼んだ。
廃墟となった工場地帯が向こう岸にかすんでいる。
と、突然、大地が揺らぎだした。
葦の根かたにかがみこんで地震の鎮まるのを待っている。
「ねえ、どこへ行ったの」
男は自分の居場所を説明しようとあたりをきょろきょろした。
揺れがおさまり、さて、声を出そうとして、いいにくい場所であることに気づいた。
すると、赤い爪を五本とがらせたショベルカーの鉄の函が、わずかな葦原を根こそぎにする勢いで頭上に接近してきた。
「かゆい……」と声がする。聴いているとすれば男のほかにはだれもいないと思い、安心しきったつぶやきである。
男はなさけない姿に変りはて、彼女の血を吸ってしまったらしい。
あっというまに、ひっかく爪のあいだに嵌まった。
向こう岸の屋根のマークが踊ってみえる。
毛布をめくった女は薄明りのなかでじぶんの右手を顔に近づけた。
手のひらに、血にまみれた蚊がつぶれている。
*初出 鰐組別冊 誌上パーティ'86 一九八六・一〇