全九ページの日没 日没はタイトルの一ページを除いて全九ページであると聞いて いたのだが、ページを繰ってみれば七ページめ、裏が八ページめ の一枚が抜け落ちて、全体の量としては七ページ分しかない。さ らに全九ページに均等な時間が流れているとは限らず、抜け落ち た二ページの質量については、全体を読み通してみても推測不可 である。 抜け落ちたページは、パズルの一片ととらえてもいいが、それ にしてはずいぶん大掛かりな、かつ、たいそう大雑把な一片で、 形状も定かでなく、それ自体でもう一つのパズルになりそうだ。 時間はいつだってパズルのようなものだが。 にもかかわらず日没が全九ページとして何食わぬ風情ですぎて ゆき、一日が終わりそうな気配もある。 二ページ分がどこかの家の玄関先のポストに投げ込まれている とか、どこかの生け垣か石垣に張り付いているとかしているにし ても(なんとも貧相な想像力)、陽が落ちるのを目の当たりにす る前の、空白の時空をどう過ごせばいいのだろう。いや、そもそ も何が存在しえたのだろう。 七〜八ページ目が脱落している日没は、ほんとうの終わりを待 たず、闇へ消えたページがどこかで薄い光を放ち、だれの目にも 触れることのない言葉が肩を寄せ合ってため息をついているよう な気がする。 いつもより少し膨らんだ財布を紛失したような心持になって、 息をのむ、いや、息をのむ身体を失っていることに気づくのだ。 気づいたのは、だれの身体か。しかし歩きだせば、その身体に日 没後のおぼろな月のようなものがどこまでもついてくるのである。 答えが出ないまま一日が終わろうとしている。まったくだれの一 日だか、わかりゃあしない。