2024
 全九ページの日没



 日没はタイトルの一ページを除いて全九ページであると聞いて
いたのだが、ページを繰ってみれば七ページめ、裏が八ページめ
の一枚が抜け落ちて、全体の量としては七ページ分しかない。さ
らに全九ページに均等な時間が流れているとは限らず、抜け落ち
た二ページの質量については、全体を読み通してみても推測不可
である。

 抜け落ちたページは、パズルの一片ととらえてもいいが、それ
にしてはずいぶん大掛かりな、かつ、たいそう大雑把な一片で、
形状も定かでなく、それ自体でもう一つのパズルになりそうだ。
時間はいつだってパズルのようなものだが。
 にもかかわらず日没が全九ページとして何食わぬ風情ですぎて
ゆき、一日が終わりそうな気配もある。

 二ページ分がどこかの家の玄関先のポストに投げ込まれている
とか、どこかの生け垣か石垣に張り付いているとかしているにし
ても(なんとも貧相な想像力)、陽が落ちるのを目の当たりにす
る前の、空白の時空をどう過ごせばいいのだろう。いや、そもそ
も何が存在しえたのだろう。

 七〜八ページ目が脱落している日没は、ほんとうの終わりを待
たず、闇へ消えたページがどこかで薄い光を放ち、だれの目にも
触れることのない言葉が肩を寄せ合ってため息をついているよう
な気がする。

 いつもより少し膨らんだ財布を紛失したような心持になって、
息をのむ、いや、息をのむ身体を失っていることに気づくのだ。
気づいたのは、だれの身体か。しかし歩きだせば、その身体に日
没後のおぼろな月のようなものがどこまでもついてくるのである。
答えが出ないまま一日が終わろうとしている。まったくだれの一
日だか、わかりゃあしない。