応答はない。表札がわりの薄汚れた番号札、把手、鍵穴がた
がいに内通しぼくを嘲弄する一枚のドアとなって立ちふさがる。
ドアをめぐる柱や梁が節々に眠りこんでいた枝を揺り起し、ぼ
くはなお歓迎されているらしいが、それとも不意の木々に争奪
される木の葉なのか、ぼくはかじかみあるいはそり返り舞いあ
がろうとする、しかも愚直な頭部は現実のドアの高みに積み残
されたまま、つぎんお瞬間には突き崩されどこかへ出かけてい
く足音が建物を離れ街中へ消え入るころ、ふたたびドアをごつ
んと鳴らし、いないやつに向って《帰るぞ!》と宣言する。だ
がぼくも街へ出たやつもすぐさま引返すわけにはいかない。ふ
たりが出喰わし手はならぬ空間があって、目はぼくをみつめた
ままめくらうちに巣をはりめぐらし、一部の隙もないそれをか
つてだれが遁れえたか、凍る背すじの右ひだりへ、背の丸みを
掠めて兎口の鳥と羽をなめずる猫が転げ落ち、欠けた背後を隠
してぼくは巣をかける眼をみつめかえす。巣がなかったらやつ
こそのたうつ獣だが、やがて満足げにとざされたやつを見失い、
ぼくは懐かしさのあまり昏倒しそうになる、くらく落ちくぼん
だぼくの眼窩にも枝が漂い、そこにも巣の一糸がつっぱり、一
糸はかっと見ひらかれる。《なんだ、きみか!》といくつかの
声が同時に叫び、器用にむかれた果皮のような長い物影にひき
ずられて、たちまちぼくは部屋にはいりこんでいる。そこでは
じめて脂でぎらぎらする躰を黙々と拭き清めているかれを目撃
するのである。
かれをおとなったぼくは正しい、すでに第三者の割り込む余
地はないと確信し、むこう向きの眼に甘んじ存分の期待を寄せ、
ぼくはじぶんの手指のさきから発した糸の張りぐあいなどを偸
み見ている。
1971.11 無限通信2号 嶋岡晨編集 政治公論社