2025
 まず右手が錠前になる

 右手の手首から先が錠前になる。対面するもうひとりは、鏡像のよう
に左手が錠前になる。彼女がたまたま左利きだったから。ふたつの錠前
は上下に弾み、チャカチャカ音を立てている。蔵の錠前よりは小さい。
鍵は祖父が持っている。といってもしょっちゅうそこらに置き忘れるし、
蔵の開け閉めは祖父に限るというわけではないけれど、《錠前》という
言葉も祖父のもの。そのことでとやかく言うものはいない。祖父のほか
に蔵なんかに用がないのだ、父親がときどきおばかさんを閉じ込める以
外は。

 ロープのオリはますます勢いづいて回転する。だれかが錠前を外して
くれるまで飛び続けるほかない。どうしてこんな目に遭わなくちゃなら
ないのか。彼女はさらわれてきた子のようにとじこめられている。わる
さをして蔵にとじこめられるおばかさんを(弟のことだが)こっそり助
けてあげるわたしみたいに情け深いひとなんて、ほかにいるかしら。で
も、ここから出してくれたひとにむかってあの子は何か心ないことをい
いそうな気もする。だって、そうじゃなければあの子がいま受けている
理不尽とバランスがとれないじゃないの。

 だれに強制されたのでもない縄跳びの、この世でいちばんきまぐれな、
回転するオリのなかにいて、じぶんをくるしめる人、じつは、くるしむ
がわの人を、未来のなかに探し始める。未来、といってもたかだか三年
くらいの先のことだが、親友の中学生の子が自殺する。枕木にしゃがん
でいて轢かれるのだ、回転しているのは縄のオリなんかではない、鉄の
車輪。鉄の車輪のなかにとじこめられる。

 おいそこでボーっとしているやつ! 担任のキネの声がする。錆のに
おいがする。もしかして、わたし? わたしのこと? ちょっと手伝え
や、デンキ屋。手伝うのはかまわないけど、ボーっとしているなんてひ
どい。それにデンキ屋はわたしじゃないし。わたしはただのかわいい小
学生よ。でも、とじこめられているのがわたしじゃなくてよかったわ。
あの子は三年生ね、縄跳びは上手だけど、いいとこ見せようとおもって
いるのなら、よしたほうがいいわ。あなたをとじこめているオリの錠前
の鍵はわたしがもっているのよ。あけてあげない。

 もうちょっと知らんぷりしてようか。彼女は体育館のゆかの湿っぽさ
を今になっておしりに感じながら、担任の声の方向へからだをよじって
立ちあがった。錠前が外れたみたいにきっぱりと。なにを手伝えと言っ
てるんだ、キネのやつ。

 初出 鰐組218号(2006.10) 改稿2025