鍋と伝承 伏せれば小高い丘である。 地質学的には気が遠くなるほどの歴史をもっているが、歴史の長さ が深浅の目安にならないことはいうまでもない。 凡百の好みがあるなかでとくに形にこだわった人々が車座になって いた。形にこだわり、伝承どおり肴(な)に刃物をあて、蓋(へ) を火にかけた。 さて彼らはいかなる料理をこしらえたのか、史籍にはみえぬ。 (月ケ瀬村に月がのぼり、家々の台所ではそうめんカボチャがゆで られている) 使いこなされるにつれ、だれかの顔に似てくる。犬が飼主に似てく るように、鍋も料理人に似てくる世界では、しかめっ面で鍋釜は扱 えぬ。 そうしてあるときつぎつぎと首を捌ねられ、はらわたを抜かれた。 権力に理由はない。 職人気質ばかりが首のない肩口にのっかった。 (月ケ瀬村のわが家のベランダでは、鉢植えの果樹が遠い日の卒業 記念写真のようなセピア色の実をつけている。すましたり笑ったり しているが、多くは成熟期を待たず死んでいるのだ。とても食べら れたものではない) 一九四〇年生まれのアンソロジスト、ピーター・ヘイニングは躊躇 した。これは奇怪だが、鍋にすぎない。アンソロジーには入れられ ぬ。そこで首のない肩口に急ぎ蓋をした。みずからの矜持である。 *初出1992 鰐組3月号 *改稿2021