波がなくては魚もつれない


足もとを深くえぐって、そりかえる波は
むこうの岸をさらにむこうへ
こちらの岸をさらにこちらへ押しわけて
そうしてどこでもない岸辺にうずくまり
おとこは釣り糸をたれている

あの町へは二度ともどらないだろう
街角の瀟洒なレストランにも入らない、ということだ
テーブルで向かい合うこともなく
床に落とした帽子を拾ってやることもない

かわいらしく化粧した浮子に
身もほそるばかりのさみしさ
季節の空気を切り裂くテグスをしたがえて
弧をえがき、うねり
魚よりももっと魚くさく泳いできた
かなしみ

町の名、ひとの名をよびかわす波の上を、いま
カワセミが飛んだろう
夕陽に照らされた背はいちだんと
瑠璃色の輝きをたくわえ
つばさも黒ぐろと
葦の葉かげに飛び込んでいったろう

そう、二度と帰らない
帽子もおとこも霞ヶ浦の波にただよい
明くる夏には
アサザの黄色い花のもとに眠るだろう

筑波連山をみずいろにぼかした波しぶきだ
そうさ、ここでは
波がなくては魚も釣れぬ
踊ってくれよ、銀のぼら
泥の底で目をさませ、はがねのなまず
カワセミ帽はくれてやる
帽子をかぶって
残りの時間を生きていろ