みずどりのみず 1/2
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 みずどりのみず 



 死臭は小さな漁船だ。ほんとうの漁船について、ぼくは何も知ら
ない。漁船が魚を追って、波にひらひら舞っているという、ほんと
うの海をぼくは知らない。
 ぼくが知っているのは、あなたがた家族が、ぼくのなかで漁船に
なったこと。あの夏、太陽がじりじりと近づき、漁船が《白っぽく》
ひかり輝いていたこと、屍体は陽灼けしないこと。
 ほんとうに、あなたについて何も知らず、死臭はひどくなるいっ
ぽうだ。
 漁船がゆれ、吐潟物のあふれる空想をかかえて、ぼくは揺れた。
そして……
 水鳥が水から飛立つ。
 風の球を左右にゆっくり押しやる翅がのびきると、ちいさい頭部
が撃たれたように上向く。嘴はやがて炸裂する弾丸だ、するどくと
じて、もう眼の前を飛んでいる自分の幻影にふかくくいこんでいる。
くいこんだ部分が水鳥の空白となる。幻影と実体の重複が水鳥の飛
行を支える。翅はいまや流れる水だ、幻影を押し流し、実体を曳航
する、翅はいまやひかりを砕く水の熱だ。水中に巻き起る風が、倒
立した樹や岩肌を燃やしたなごりが、翅を熱くする。火の粉が舞い、
樹脂がしたたる、落下への熱望が水鳥の眸をくらくする。暗い眸は
浮力を鎮める錘だ、同時に車輪だ。回転運動が水鳥の上昇角度を宥
め、そらはさらに青へと没頭している。空白は空間の盲目、盲目の
速度が水鳥の意欲、意欲はいまそらの青さと合致している。青が走
る、追う水鳥は水だ、虹のような飛行が風の球を細分化する。気流
ははるか下方を濁らせているにすぎない。水鳥は気流にのらない、
すでに頭部は石化し眸は錘だ。翅は押し寄せる風の素粒子を左右に
押しかえす水平に流れる水だ。水源地の鼓動が風を裂き、過剰な水
をしみこませる、水鳥の極限の軽さは発光するほどだ。和毛はすで
にひかりだ、距爪をふかくつつみこんで、ともに窒息したひかりだ。
 水鳥が水から飛び立つ。かれを拘束してきたいっさいの水から飛
立つ。