カエル 1/3
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 カエル


 カエルは水に入るとき決して音を立てない。
 であるから、芭蕉のかの有名な俳句は虚構である。
 そんなことがまことしやかに語られているので、田舎育ちの自分の記憶を疑
った。
 たんぼのあぜ道を歩きながら、カエルが立てる水音をごくあたりまえのよう
にきいていたような気がするし、あたりまえすぎて、なおさらか、いったん疑
念に駆られると、はたして、という気持が胃の腑へ重たくのしかかってくるよ
うであった。
 ひとにたずねてみる、そのひとは娘に話し、娘は友達からも回答を得る、ほ
んのささやかな人脈だがたしかにうねって、返ってきた答えは、
「わたしもきいたことがある」
 おそらく、たずねられたひとは、「え?」とおもうのだ。なんでそんなあた
りまえなこときくのかと。
 雨つづきなら傘をさしてでも近くのたんぼに出かけて真相を確かめたいとお
もいながら、いまひとつ気がのらなかった。
 だがついに意を決して出かけていくことにした。胃に重たかったものが胸に
詰まってきた。
 水音を立てないなんてウソである。ウソをのさばらしてはいけない。そこま
でむきになったわけではない。
 むかったさきは、たんぼではなく、となりの町の自然観察園だ。安直だが、
まずここではたらくひとにきいてみよう、そうかんがえた。気ぶっせいな悪天
候がつづいたあとの、なんともぎらぎら日照りの正午過ぎだ。
 ネイチャーハウスの玄関でスリッパに履き替えて中へ入ると、ちょうど事務
室からうら若い女性が出てきた。山登りにでも出かけるような格好だが、それ
がこのひとたちの園内での服装だ。さっそく話を切り出すと、
「種類にもよるかもしれませんね」という。
 水音を立てるものと立てないものの種類を知りたいのではない。
 質問の趣旨をあらためてせつめいすることは、つまり文学的な話をすること
なのだが、それはおのれの恥部をさらすようで苦痛なものだ。が、趣旨などと
かしこまらないことにする。質問の理由を述べるのは礼儀のうちかも知れない。
 芭蕉の名を出した。
 そのときの相手の微苦笑は、表現しにくいから端折ってしまうが、水の音を
きいたことがあるとおっしゃるならばそれで解決、と答えを待った。
 図書閲覧室があり、水槽なども置いて、小魚などを泳がせている。ビデオを
閲覧させるブースもある。そんな建物の前庭には水草を栽培するコーナーがあ
って、木箱の池がいくつか並び、何種類もの水草が季節のめぐりをかたり、あ
るいは沈黙してしまう。そこでポシャンとカエルが音を立てる。
  産卵するには狭すぎるくらいの木箱の池で、
「ダルマガエルがポシャンと音を立てる」
 と彼女は笑顔でいう。
 ポシャンという擬音は予想外で、幼児語をきかされているような気がしたが、
園内で講習会だのなにかの催し物でこどもたちに説明する場面があれば、やは