鬼蝶 2/2
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がガラスを割ったような瞬間があって物理的にはともかく時間的なア
リバイはなさそうだ。
 丘の斜面から黄色の片割れも消え、あのピーピーは五秒ぐらい続く
のだったか、洗濯物を干さなければならないとわが家へもどりかける
と、空き家のはずの玄関の軒下に見知らぬ女が立っていて、家主かも
しれない、険のある目でこちらを見ている。なんだいと反発しかけて、
いまどんなしぐさも彼女の険のある目の色を濃くするばかりでしかな
いはず、そう意識したわけではないけれど無表情をつくろい、自分の
無表情が自信に満ち満ちた精神をかたちづくるように感じる。女には
チョウに復讐されるような過去でもあったにちがいない、たんなる災
難ではなくてたたりだ、ガラス一枚では済まされまいなどと悪鬼のご
とき思いにかられてもういちど玄関先を見やると、鉄の門扉の向こう
に人影はない。カナメモチの真っ赤な葉が火の粉のように屋根いっぱ
いに降りかかっているばかりだ。
 自宅のうらへまわって外流しのたたきに据えた洗濯機を前に立ちす
くむ、銀色の外装がビロードふうの黄色に染まっていて、目を凝らせ
ばキチョウのむれがたかっているのだ。そうしてメスの羽化を待って
いるつもりか、きみがわるくて洗濯機のふたに手をかけるどころか追
いはらうことすらできない。


2010.5.11