偽詩的ウタ論の試み 1/6
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偽詩的ウタ論の試み




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 <詩>は漢字の読みかたとしてウタでもあるが、私は一時期、詩におけ
るウタではなくて、唄うウタそのものを詩にして書けないかと模索したこ
とがある。
 発声練習や歌のレッスンのさいちゅうに考えることなどを、少しばかり
文学をきどって表現した、いわば、歌についての試論である。
 学問ではなくて、遊び、余興の部に属する。
 しかし、それを文章、詩として書きつける以上、読むひとにはなるべく
心にひびくものでありたい。そして歌唱にとりくんでいるひとが読んだと
きにはいっそう理解を得られるものでありたい。
 そんなつもりで書いてきた。
 できあがってみれば相も変わらず自己満足的な詩篇である。
 私はけっして、歌い手がじぶんの唄に酔って目をとじるようなナルシス
トではないつもりだ。なるべく目はみひらいたままでいたい。それは書い
たものがどんなふうに読まれるのかを知る用意でもあるし、相手が腹を立
てたときには敢然として立ち向かう……と見せかけていち早く逃げる準備
だ。
 そんなわけだからたいして多くもない詩篇を、じゃまにならないように
この場所を借りてつらねたい。
 ここの屋号は『やんま堂・M』。MはMusicのM。
 以降、不評を買っての開店休業もいとわず詩をならべる。すぐ挫折して
店をたたむ可能性もある。
 なにかを感じていただければそれで私としては十分なのだが、なお、理
解できないところがあったら(いくらでもあるだろうが)、わかりやすく
書く力がないからだ、とあきらめてください。(それでもつきあえといっ
ているのだから、あつかましい。)

注:●印の詩篇は『文学ごっこのやんま堂』に収録のものであり、ここに書
き出すにあたって手を入れてある。

●羽ばたく日があれば

そのひとふしは
這うがいい
腹にこめた力を
そのまま
大地にさらすがいい
やぶがらしみたいに