偽詩的ウタ論の試み 1 <詩>は漢字の読みかたとしてウタでもあるが、私は一時期、詩におけ るウタではなくて、唄うウタそのものを詩にして書けないかと模索したこ とがある。 発声練習や歌のレッスンのさいちゅうに考えることなどを、少しばかり 文学をきどって表現した、いわば、歌についての試論である。 学問ではなくて、遊び、余興の部に属する。 しかし、それを文章、詩として書きつける以上、読むひとにはなるべく 心にひびくものでありたい。そして歌唱にとりくんでいるひとが読んだと きにはいっそう理解を得られるものでありたい。 そんなつもりで書いてきた。 できあがってみれば相も変わらず自己満足的な詩篇である。 私はけっして、歌い手がじぶんの唄に酔って目をとじるようなナルシス トではないつもりだ。なるべく目はみひらいたままでいたい。それは書い たものがどんなふうに読まれるのかを知る用意でもあるし、相手が腹を立 てたときには敢然として立ち向かう……と見せかけていち早く逃げる準備 だ。 そんなわけだからたいして多くもない詩篇を、じゃまにならないように この場所を借りてつらねたい。 ここの屋号は『やんま堂・M』。MはMusicのM。 以降、不評を買っての開店休業もいとわず詩をならべる。すぐ挫折して 店をたたむ可能性もある。 なにかを感じていただければそれで私としては十分なのだが、なお、理 解できないところがあったら(いくらでもあるだろうが)、わかりやすく 書く力がないからだ、とあきらめてください。(それでもつきあえといっ ているのだから、あつかましい。) 注:●印の詩篇は『文学ごっこのやんま堂』に収録のものであり、ここに書 き出すにあたって手を入れてある。 ●羽ばたく日があれば そのひとふしは 這うがいい 腹にこめた力を そのまま 大地にさらすがいい やぶがらしみたいに