偽詩的ウタ論の試み 2/6
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地を這い
やぶをからめ
森をからめ
晴れわたる潮来街道の
首なし地蔵尊を波打たせ
さびれるばかりの
商店街のシャッターを波打たせ
草刈り鎌に燃えのこる夕焼けを
波打たせるがいい
夜はフクロウだって
だまって打たれているだろう

うたはおごそかに
翌朝へ持ち越して
たんぼばかりの地の果てから
這うがいい
あかるい悲鳴の畝を
ひとつあがって
さてつぎのひとふしは
腹這うそいつの背中を踏台に
さらにのびやかに
きょう一日をはばたくがいい

 2

 高い声で唄う方法、高い声を出す方法などの指導書はあるが、低音部の
出し方の指南書などはどうなのだろう。
 しかし、ネットで検索すると、いろいろと指南するサイトが出てくるの
である。
 <楽器と同じで、その人が出せる低音には限界があって…>と身もふた
もない意見も出てくるが、高音域は訓練で広げられるけれども、低音域は
そうはいかない、というのが通説かもしれない。
 ほんらい自分が持っているのに、出し方がわからないで、出ない、と思
い込んでいる人もいるだろうとおもう。それなりの方法がわかれば、人に
よっては大きな開拓になるはずなのに。

 高音といえば、かつて三橋美智也がいた。けれども、彼が歌謡曲で出し
ている高音は上のラぐらいまでである。(例「白菊の歌」「潮路」)
 いまどき、それくらいの高さではだれも驚かない。
 そして、三橋といえば高音の魅力と相場がきまっているけれど、じつは
低音にも力がある。この低音部があればこその、艶ある高音部だ。私はそ
のむかし三橋美智也が原語で「キサス・キサス・キサス」を唄うのを聴き、
その低音に魅了されたものだった。
 そしてかれには前段に民謡があって、歌謡曲の発声とはいっしょになら