ないけれど、高い声を出す方法としてのヒントがこちらにもあるといえる
だろう。
で、民謡の教本などをひもとくと、そこにももちろん発声練習はあって、
民謡の大家が声の出し方を指導している。
ここにこんな教えがある。
〈低いところが出ない人は、イメージだけでいいですから。低い音をイ
メージして…>
イメージだけなら、楽だ。声にならなくでもいいのである。
楽である―。
このことが最重要なきっかけだった。
楽な気持になったとたん、声が出た。
まさか、民謡の指導書で、低音域が広がるとは想像もしなかった。
…と、そんなことも起こるのである。
さて、拙作であるが、高音賛歌。あのかた…と宗教的な存在までに高め
ることになったのは、ゴスペルを唄うポール・ビーズリーを念頭において
であり、彼への敬意である。
●ハイ・ハイAに在り
唄が、あのかたを求める手つきになれば
かの詩人がよりたかく風船を打ちあげたように
もっとたかく声を放つ
上のA(アー)の、さらにもうひとつ上のAへと。
唄はもはや
声ではなく、そらに浮かぶ船のようなものとして
光さえ発して、大気をゆらす。
ゆれる大気におされ
地にはじかれ
身をおどらせた水銀の蜻蛉よ
そらの青の微熱よ
さて休止符の闇をただようとき
鳥たちも暗黒にのまれ
いずれおとずれる音の転落に
身をまかすことになるだろう。
ものみな音とともに地に帰す、けれども
なんどでもよみがえる狂乱があり
陽に灼けたちいさな
八分音符みたいにやせたからだと
はずむ息だけの唄は
あまたの耳をあたためようとして。