偽詩的ウタ論の試み 4/6
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耳よ、耳よ、あのかたの耳よ。

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 「-2-」に引き続いて発声に関することがらを詩にしている。
 ひねりはきっちりきいている、なんていっているが、詩の中身のひねり
は、ぜんぜんきっちりしていない。
 読むひとに理解できるひねりでなければ、きっちりなんていえないし、
ひねりはそれなりに詩的(ウタ論的)に効果をもたらすものでなければな
らない。
 ここではそんなことを無視して、ただ言葉だけでそういっている。
 そんなことを詩として書く意味があるのか、という疑問をもたれるかも
しれない。
 意味なんかないかもしれない。
 だが、意味がなくてはならないのか、意味がそんなに大事なのか、とい
う反論もここには含まれているかもしれない。
 とにもかくにもここは、カラダのどこにも力を込めないことが重要であ
る。
 声を出すのに、声を出すという意識さえ頭からぬいてしまう。
 そうしてカラダをリラックスさせ、ため息をつくように息をして、その
息にそっと声を乗せてみよう。
 のどなんかないんだ、とおもいなさい。
 ボイストレーニングの基礎がはじまる。ウタ論以前である。
 詩では、トレーニングが中間の音から高音部へ入ってきている。

●首から上はプチトマト

ともれよ ともれ
見よう見まねの
プチトマト

ともれよ ともれ
プチトマト
ひねりはきっちりきいている

声は足うらから
みぞおちへ さらに
つるをすべってプチトマト

のどは ないものと
おもいなさい
絵の具の赤をしぼるように
声を熱くして
五線譜のくらがりを照らすんだ