偽詩的ウタ論の試み 6/6
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きみの声となり
声としての肉体をあらわにする

さて、そのくちびるでおもむろに語りはじめるがいい
うたうのはひとこと、ふたことでよろしい
それでも聴衆の耳はうたであふれかえる
すべての耳が溶鉱炉になる
喝采がきみのステージを
さらに頭上たかく築く

大地に返すべき熱いものによろめきながら
きみはさいしょの足うらいちまいになりきるために
だれにもさとられぬよう つかのま
ひとり深い呼吸に埋没する

 5

 ツイッターを見ていると、日常のひとコマをとらえて、そのまま歌詞に
なりそうなツイートをする人がいて感じ入ってしまうことがある。
<さっき、上半身裸のあんちゃんが、すんごいボロいプジョーのオープン
カーにのって、タオルで汗拭きながら、走ってた。公然猥褻罪で捕まれ、
気持ち悪い。つか、あんなプジョーでいきがってるのが、ね。せめて、ポ
ルシェとかランボルギーニとかなら、まだ許せたのに。不快だわ。>
 <タオルで汗拭きながら>が、いかにもリアルで、男の容姿などの説明
もないのに、イメージはがんがん伝わってくる。
 このツイッターは音大でバイオリンを弾いている。言葉のセンスに光る
ものがあり、たぶん本人はそのことを意識している。だが、ツイッターと
いう場での肩の力の抜け方が、彼女にさまざまな「名言」「迷言」をもた
らすのだ。
 <不快だ>といっているが、彼女の不快感には同情すべき点があるよう
な気にさせられてしまう。
 歌詞では必ずしもディテールをしっかり書き込む必要はないのだけれど、
作り手が前提としてそれを持っているのといないのとでは、たとえば詩情
というようなところで差が出てくるのではないかとおもう。なによりディ
テールが確かであれば言葉の吟味、選択もおのずと厳しくなるはずだから
だ。似たような表現の繰り返しにも用心ぶかくなる。


2010.8.18