どうせ飛べないカモメだね 覚書 2/2
 

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感想を添え、書き直したらどうかとしたためてくれた。一九六九年
だ。その小説は書き改めることもなく手元にある。
 早稲田へ載り始めたのはそれからまた十年余りの一九八〇年であ
る。小説新潮で新人賞候補になった「雪よ、幻想のカルシウム」を
書き直し、早稲田に投稿した。数カ月たってから、編集長の有馬頼
義氏から「直してもらいたいところがある」と速達はがきがとどい
た。
 飛べないカモメにもどれば、WEBにアップするにあたって、主
人公(語り手)はまたも改名し(三度目)、早稲田掲載時の文体を
変え、ほんのちょっぴり、ぜい肉を落とした。詩みたいな行を削除
した。詩みたいな…というのは、一方で詩のようなものを書いてい
たから、小説にも紛れ込み、それを編集室の人に注意されていた。
有馬氏のもとに何人かの編集スタッフがいて、投稿初めのころは、
そんな箇所をけっこう厳しく指摘された。やがてそうした指導がな
くなり、それでまたぞろ変なクセが出はじめ、意識してクセを出し
もした。
 投稿してから何カ月も待ったり、そのままボツになる原稿もある
…そうした生活を十六年も続けたことになる。花のない暮らしであ
る。いま、すべてが灰色の棺に入り灰色の蓋でとざされようとして
いる。
 忘れないで書きとめておこう、敬意をこめて。第十二回神戸文学
賞を受賞した釜谷かおるさんは、当時すでに『ノンノ』のフリーラ
イター大賞を受賞されており、以後、作家として活躍されている、
玉岡かおるさんである。九七年『をんな紋―まろびだす川』山本周
五郎賞候補。二〇〇八年『お家さん』織田作之助賞大賞。 恐れ入る
ばかりである。