吊るされて腐敗するもの納屋にあり 納屋は、腐敗の円環運動の中心に位置している。そこでアメンボ のように静止している。アメンボは毛髪であり、ごくささいな気分 の転調にも敏感に反応し、おおきくたわんだりするが、その脚は地 中ふかく根ざしている。アメンボをめぐる空間もまた破裂寸前まで 膨脹し、その天辺にはうすく雲がたたなわっている。アメンボはさ らに、その空間の底に沈んで佇つ、かすり傷である。それはガラス 壜のひびのような不透明な小枝にところどころ輝く結晶を実らせて いる。それを啄みにくるものもあるが、小枝の湿潤性は、そのもの をもぬかりなく結晶化してしまう。このかすり傷が、病巣の納屋を 予感させる。(かれは村を出る朝、なんとはなしに納屋に立寄り、 戸をあけてのぞいてみた。かれには何も見えなかった。そして村を 出た。) 雪の音いろのような糸で、腐敗は当初、吊るされていたのだろう、 その感得不能な重量が、ヨリをもどすはずみとなり、ヨリがもどる につれて腐敗は円環運動を獲得していったのだろう。アメンボの脚 のあわいで腐敗の圭角がとれ、無数の真球となって回転速度を増し ていく。やがて納屋が渦巻状の空間として姿を見せはじめる。 納屋じたいは、嫌気性菌が酸素を避けるように、腐敗のただ中に あって孤立している。腐敗の表面的な様相が地形図を呈していたり、 ダイヤグラム状の線条を浮き出たせたりするのは、そのまま腐敗の 旅への憧憬を示している。(数カ月後、村へもどって初めて納屋へ はいったとき、かれは、自分がいったい何のために何を手にすべき か、一瞬、忘れてしまったのた。それから、バイタ、とかれは呟い た、バイタ!)