どうせ飛べないカモメだね p10

 次頁  前頁

かだ。ごろりと横になっている濃紫の茄子を笑いとばすことばがみ
つからない。
 客が十五、六人いて、夢羅はほぼ満席だ。どさくさにまぎれた精
いっぱいのギャグにみずから満足して汀子は奥のボックス席へいく。
「なんで?」となりで元レーサーの芝田がびっくりしている。
「彼女が、なんで」
「わからない」
「なんで? なにか、あるの」低声でくいさがる。
「なにもないよ。あるわけないじゃないか」
 それから芝田はククク……と笑いを噛み、茄子を手にする。かれ
の手つきから持ち重りがするのがわかる。掌のうえでぽんと弾ませ
て、「重い」とつぶやき、にたついている。
「もってけ」
 だが万一、手紙のたぐいでも忍び込ませてあったらどうするか。
「いいの?」芝田はくわえタバコの煙にきざっぽく目を細めた。
「でも、なんだか、寝覚めがよくねえ」茄子をカウンターへもどす。
 そんなふうに使うことばかい。佐々木は水割りをのどに流しこむ。
 汀子は奥のボックス席の年配の連中といっしょだ。どんな仲間や
ら、彼女がそうして複数の人とひとつテーブルで呑んでいるのを見
るのは初めてである。六人のうちでは彼女がもっとも若いらしい。
かれらはカラオケに興じている客たちには耳もかさず目もくれず、
内輪だけでひそひそと話しこんでいる。ひとりこちら向きに座った
女は、サングラスをかけているが相当の年寄りらしい。喋りながら
顎をつきあげるそぶりが横柄だ。
 佐々木と目が合って、汀子はかすかに笑みをうかべる。ヘリウム
のような笑み。だが、茄子型の小銭入れは、重すぎるバラスト。墜
落するばかりだ。
 汀子のからだがぎくりと伸びあがる。ボックス席の仲間の面々が
彼女に注目するなかで、坊主刈りにした初老の男のとりすました表
情がこちらを向く。その男の膝が汀子の膝をこづいたのだ、よそ見
をするなとでもいうように。いやなものを見たと佐々木はおもう。
「人間のからだってのは、そう簡単に死ぬようにはできていないん
だ」
 二十五で、「金が続かない」のが理由でカー・レースから足を洗っ
た芝田は、経験から得たかれなりの哲学の披瀝をくりかえす。