「これでも苦労はありますのよ、いろいろと」
「それはそうかもしれないけど、不幸な女にはみえないね」
「どうせ、おめでたく見えるんでしょ。おつむが弱いから」菜箸を
持った手を口もとへ寄せてふっと笑う。
「そんなことはない。なかなかどうして」
「手酌でごめんなさいねえ。きょうは由貴ちゃんもおそい日だし、
わたしは早く来なくちゃいけなかったのにねえ」
佐々木はつまみもなしにビールを呑んでいる。
「佐々ちゃんとのこと、うすうす感づいているんじゃないかしら」
声がひびわれた。
「え?」
「汀子ちゃん。汀子ちゃんの旦那さん」
「感づくって、なにを」
「なにをって、だから、佐々ちゃんとのことよ」
「ぼくと? なにをいってるの。ぽくと汀子さんて……べつになに
もないよ。困るようなことはなにも」
「あら、だって、このまえだって、映画に行ったでしょう」
あらぬ事柄の一伍一什をさも見てきたふうにあたりにばらまきそ
うな口吻だ。
「それだけのことだよ」
「それだけといったって、粂さんが知ったらやっぱり、いろいろと
問題はあるんじゃない」
「な、なんだか、脅迫されているみたいだな」
「まさか」
「そそのかすのどうのと粂氏がいっているのは、汀子さんが呑みあ
るいていることではなくて、映画のこと?」
美弥自身だって粂を人聞きがわるいなどと非難ばかりはしていら
れない。映画へけしかけたのは彼女なのだから。
そのことに思いいたったか、美弥はおしだまる。
コンロのうえから砂糖と醤油が煮つまるにおいがする。
「あんたのほうがいいな」
「え……」
「どうせ噂が立つならさ」
「噂って……、べつに立ってもいないと思うけど」しらっと、つめ
たくいい、にっと笑う。「でも、おあいにくさま」