かつての首相に顔がそっくりな花屋が棚からスプレー式の缶をと
ってよこし、すぐまた花束つくりにとりかかる。こいつが首相なら
一発ぶんなぐつてやりたいとおもいながら値段をたずね、金をはら
う。花屋にはなんの不満もない。
薬害の恐れもありとか、噴射した霧を吸うなとか、細かく記され
た注意書きをすみからすみまで読んで、玄関ドアの外に鉢を出し、
霧を噴きつける。たちまち息がつまり胸が苦しくなる。あ、心臓が
……とおもう。わずかな風におしかえされた薬液の霧を吸いこんで
いる。
夕刻ちかく、殺虫剤のスプレー缶から吐き出されたような霧雨の
なかを汀子がまえぶれもなく訪れる。
「胃、だいじょうぶ?」
美弥から開いたのだろう。
「お見舞いにとおもって」洋品店の名がはいった紙袋をさしだす。
「ご親切にどうも。ときどき痛むだけで」
呑み疲れで、たいしたことはない。
袋をうけとり、彼女を部屋へうながす。
袋の中身は麻のサロンで、大きな目と大きな口をもった茄子がプ
リントされている。鉢巻をし、汗のしずくをふたつぶ飛ばして、
「Fight!」とさけんでいる。
「こいつは、元気が出る」
汀子は座卓を前に膝をくずす。
「雨だなあ」元気が出る、といった舌の根がかわかぬうちに佐々木
は気ぶっせいにつぶやく。
汀子はコーヒーカップを口にはこぶ合間あいま、頻繁にスカート
の裾をひっぱる。
かれは目をそらせ、窓を見やる。
おや、とおもう。バラの様子が変だ。けさ、びっしりとたかった
虫のために葉の裏は黒くなっていたが、それでも表面はつやつやし
た緑色をしていた。それがいま見ると色槌せて白っぽい。葉ばかり
ではない。幹も枝も、緑が失せて、ぜんたいに影うすく白っぼい。
用心したのに、薬をかけすぎたらしい。
それにしても六、七時間のうちに、変わりようがはなはだしい。