どうせ飛べないカモメだね p27

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があるのを知ってます?」妙なことを話しだしてしまったぞ。知っ
ているわけがない。
「コオロギの木?」
「うん。ぼくがそう勝手によんでるだけなんですけどね。ツツジだ
のヤマモモだのキョウチクトウなんかにね、ぴっしりとたかって鳴
いてるの。コオロギといっても、正確にはコオロギの仲間のクサヒ
バリっていう昆虫なんですけど。夜、河原へいくと、その木に出く
わすことがあるの」
 去年の夏の夕暮れ、河川敷を自転車であるきまわっていて、偶然、
あちこちに自生したりあるいは植樹された低木のなかでそんな木を
見つけた。そして、その木がいつもそれと決まっているのではない
こともわかった。前の晩はあちら、今夜はこちらと、クサヒバリの
たかる木がちがう。
「クサヒバリつて、どういうの」
 かれは説明する。コオロギの仲間のうちでからだが小さく、体長
が七、八ミリ、大きくても十ミリぐらい。フィリリリ、と高く澄ん
だ声で鳴く。
「おもしろそう。こんど連れてって」
「でも、あまり気持のいいものじゃないですよ、あれは。虫のかず
が多すぎて、おっかないくらいで」
 一本の木ぜんたいから聞こえてきたクサヒバリの声に、はじめは
背筋が凍る思いがした。フィリリリ、と高めの音で鳴く声は一匹一
匹は澄んできれいだが、かずが多すぎて耳を覆いたくなるくらいに
やかましい。そしてそれは、なにかしらぞっとさせる響きとなって
八方へひろがる。
 まるで木じたいがわめきちらしているみたいにきこえる。
「ひとつの木に十や二十どころではなくて、たぶん百とか二百とか、
たかって鳴いているわけだから」
「きいてみたい……こんど、つれてって」
 こんな話をするのではなかった。
「主人、本社に泊まりがけでいっちゃってて、いま、うちに、従妹
があそびにきているの」
「え?」話がとんでくれたのはいいが、まごつく。「あ、ああ、そ
う。それで、ほうっておいていいんですか」
「いいの。夕食、つくらせているの」