どうせ飛べないカモメだね p28

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「ああ、ああ、そう」
 部屋が赤く染まる。外を見ると霧のかなたの雲のきれめから太陽
がのぞいている。オブラートにつつまれながらもすっきりと輪郭
を映しだしている太陽だ。
 汀子はぎくしゃくと立ちあがる。生まれたばかりの子鹿みたい
に羊水の膜にぬめぬめとまみれ、むこうずねをぎいときしらせて。
座蒲団を踏んで立ったまま、粘液質の糸が自然のちからで切れるの
を待っている。
 佐々木が立つと、子鹿はくるりと片膝を折って逃げだす姿勢をと
る。彼女はゆっくりと裏返って背中をみせ、赤い日ざしのなかで不
安の色を濃くしている。微熱を帯びた背に、見えない黒い斑点を散
らし、壁や柱にからだをこすりつけて、はすかいに歩く。
 長押のうえに立てかけた短冊の押し絵が佐々木の目に入る。ぼっ
てりと重そうな髪が女の立ち姿を不安定にしている。
 そういえば夢羅にあるのも異様に髪がぼってりしている。
 汀子の髪がひどくまずしく目にうつる。
 玄関のたたきで踵の低いパンプスを履き、こちらを向いた汀子の
顔が少女っぽくなる。ことさらに稚くみせている、とおもう。壁に
手をつこうとした佐々木の動作をどうとりちがえたか、「ひっ」
と退き、ドアにからだをどんとぶつける。
「どうしたの」
 汀子はかすれ声をいっそうかすらせて、
「こないで」
 ドアのノブがぎりぎりときしる。ドアに彼女自身の体重がかかっ
ているのでノブが回りにくくなっているのに彼女は気がつかない。
佐々木の頭のなかでいちごの毛のようなものがそよぎだす。かれは
狭いたたきへ素足で降り、おびえきった彼女のからだへふわりと憑
いていく。かぶりをふる頭をとらえると、静かになる。硬直した汀
子の躰がもたれかかってくる。彼女の顔を上向かせると、淡い色の
ルージュの唇がひらきかけている。佐々木は食らいつこうとする。
どんとドアが鳴る。彼女が肘でドアを叩いたのだ。おもわず彼女の
からだを離す。汀子はすばやく髪をなでつける。こんどはなんなく
ドアがあく。外廊下にアパートの住人のだれかがいるけはいがする。
それを汀子はいちはやく察していたのだ。彼女はたたきに立てかけ
てあったピンクの傘をつかむと、外へ出しなにちらりと外廊下のむ