どうせ飛べないカモメだね p29

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こうへ目をふり、ドアをゆっくりと閉じながらとってつけたように
いう。
「では、おだいじに」
 白茶けた神経にがんじがらめになって、霧雨にぬれているだろう
鉄階段をおりていく足音を佐々木はそこに立ったまま聴く。


 夢羅は店をあけたばかりで、カウンターに店の花瓶に生ける花束
をころがっている。美弥はフロアを掃いている。佐々木を見るなり、
「どうしたの。顔いろがよくないわ」
「悪事をはたらいたあとだから」
 いまおもえば人のけはいにわれにかえってドアをはたいた汀子が
無慈悲なおそろしい女のような気がする。あの瞬間、足もとの床が
口をひらき、おれほ宙吊りになった。縛り首の犬。あるいは、自殺
のレッスン。
 帯の手をとめたまま美弥は訊く。
「どんな悪事よ」
「胃のせいかな」
「お薬、服んだの」
「いや」
「それなら、買ったばかりのがあるわ」
 帯をボックス席のかたわらに立てかけると奥へく。
「忘れもの、もらいにきただけなんだ」佐々木はストウールに腰を
おろす。
 白い紙につつまれた花束のなかで名前がわかるのは、ゆりだけだ。
 カウンターへもどった美弥は薬の小函に小指の爪をたてて封を切
る。ピッ、ときれいな音がする。
「すぐ服むといいわ」
 三日分、と気前よくひとつらなりの錠剤をくれて、水を入れたコ
ップをカウンターにおく。
「このまま帰っちゃうのも、申しわけない気がするなあ」
「すこし、お酒をやすみなさいな」美弥はカウンターの下から佐々
木の忘れものの紙袋をとりだす。
「あなたは、天使だ」
「なにいってるの」とりあわなかった。「はっきりしないお天気ね」