どうせ飛べないカモメだね p31

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る。喧嘩を売る気なら買ってやろうじやないか。佐々木は目をとじ
る。走っている電串のなかで乗客に迷惑をかけずに渡り合えるだろ
うか。
「おれはな、きょう出てきたばかりなんだ」男はいう。「網走から
よ。……おいっ、そこの」
 男の口を封じょうとするものはいない。佐々木は目をひらく。的
は佐々木ひとりだ。男はあいた席に膝をあげてはすかいに座ってい
る。網走からというのはたんなる脅しだろう。しかしいかにもそれ
らしく坊主頭だ。男が訊く。
「おまえ、どこの組のもんだ」
 佐々木はネクタイをゆるめた楽な格好をしているが、やくざ呼ば
わりされるなりでも姿勢でもない。いいがかりをつけられる原因が
あるとしたら、もって生まれた顔つきしかないが、かれ自身も酔っ
て、しまりのない顔をしていたにすぎない。隙だらけでつけこみや
すかったのかも知れない。佐々木は顔つきを白紙にもどす心持で奥
歯を噛み、それからことさらに微笑ってみせる。
「ここにゃあな…‥」男は床においたバッグに一方の足の先でふれ
る。学生が持つような黒のスポーツバッグだ。「ガンが入ってるん
だ。ガンが。てめえなんざ、いちころだぞ」
 劇画の読みすぎか。せせら笑う気持で男の顔をまじまじと見る。
いちころというなら射撃の腕も確かだということか。そんなものを
ほんとうに持ちだされた日にはたまったものではないが、じっさい
に物騒なものを所持しているとして、衆人環視のなかで口外するや
つがあるだろうか。佐々木は背をたてて座りなおし、じぶんの頭上
の網棚をちらりと見あげる。設計図入れの紙筒がどろりと横たわっ
ている。おれはライフルを持ち歩いているんだぜ。組み立てるのに
ちょいとばかり時間がかかるがね。また目をとじる。
「おいっ、まえのっ」
 一拍まをおいて、佐々木はかっと目を見ひらく。おれは〈前野〉
じゃねえよ。
「おめえよ。おれあな、きょう網走から出てきたんだ。タクシーで
よ、タクシーでこっちまできたんだ。ええっ、いくらかかったとお
もう」
 脅しをかけているかとおもえば奇怪な打明け話だ。金額をいい、
「たけえもんだ。たまげっちまう。な、おまえ、そうだろうが。