「おみそが五百グラムなら」彼女はつづける。「お砂糖はその半分
の二百五十グラム。あとスープだとか胡麻油だとか、少し。で、三
十分ぐらいつきっきりで煮てね。……日保ちはいいしね。冷蔵庫に
入れとけば何か月ももつから。ジャジャーメンだけじゃなくて、野
菜妙めなんかにも応用できるし……」
「うちへきて、やってくれ」
「いって、いいの。さっきはだめだっていったじゃない」
「そんなこと、いった?」
「やあねえ、あなた。あたし、目をあけたまま眠る男のひとって知
ってるけど、寝言じゃなくて、会話をしながら眠っているひとって
初めてだわ」
顔をもっていくと、気楽に唇を寄せてくる。なんの感興もない。
見ていた美弥は知らぬ顔をする。汀子がカウンターの隅でまえかが
みにまるまっている。
「あんた、なまえ、なんてんだい」いまさら滑稽な質問にちがいな
い。
「やあねえ、あなた勝手にあたしをサトコって呼んでたじゃない」
「サトコって、だれだ」
「そんなこと、あたし知らないよぉ」彼女は仕方なさそうにわらう。
店のドアがひきあけられ、佐々木は背凭れ越しにそちらを窺う。
がっちりした肩の上に小さめの坊主頭がのっかった男が入ってくる。
眼差しするどく店内をねめまわし、つかのま佐々木と視線が合う。
佐々木は目をそらし、それから、はっとしてまた男を見る。
黒いブルゾンを着て、黒いスポーツバッグを持っている。
つつじが丘といっていたのが、なぜここへ来たのか。仮名サトコ
に小さく時刻を尋ねる。あれから三時間はたっている。〈初仕事〉
とやらをすませてきたのだろうか。
カウンタ―を出て客のひとりと並んでストウールにすわっていた
美弥が立ちあがる。
「いらっしゃい」初顔の客にはいつでもそうだが、彼女はやや警戒
する面持で男を迎える。「どうぞ」とじぶんのとなりのストウール
を引いて男に勧める。
「あ、こちらへお預かりしましょうか」バッグを受けとろうと手を
出す。
「いや、いい」