れている。
上半身を三畳間に、下半身を六畳間に、まるで敷居の上で柱と襖
に躰をはさまれた芋虫だ。
さむい。電話のコードがあと五十センチ長いか、いっそコードレ
スなら、蒲団のなかで話ができるのだが。
「出てこられます?」
「はあ、野越ですか」
気がすすまない返辞にきこえたろうか。かれは受話器を固く握り
なおす。そうすれば誠意が通じでもするかのように言い訳がましく。
たいした差ではないけれど、駅なら大寺が近い。大寺を避けなけ
ればならない理由が彼女にあるのだろうか。
頭のすみに古めかしいことばがころがる。角砂糖のように甘く。
密会。
気持がきまる。
「そとは、さむそうですね」
張るべき見栄はきちんと張って、億劫なふりをする。
「さむいというほどでもないわよ。いそがしいの? まだ寝起きみ
たいだけど。それとも、二日酔い?」
「それはないですが」
「出てこられます?」
「まあ、いいですが」
「まあ、だなんて、つれないわね。でも、そうね、二時に、駅前の
コパンという喫茶店で。コパン。わたし、ずっと、コンパ、コンパ
っていってたんだけど。フフフ。知っているでしょ。わかるわよね、
改札口を出てすぐのところだから。あそこでお会いしましょ」
「ああ、はい……でも、どうして……」
「べつに、どうってこともないのよ。じゃ、あとで」
彼女はさっさと電話を切る。
彼女はひとりではしゃいでいる、とおもう。別人のように上機嫌
だ。だが、わたしの父は画家です、などと高飛車にいってみたりす
るのと同様、その上機嫌さには空虚な力みがありはしないか。しゃ
がれ声のユーホリア。
アパートを出てどぶ川沿いの道を歩きながらまたかんがえる。電
話をかけるべき相手をまちがったのではないか。
そんなばかげたまちがいがあるだろうか。